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Sep 16, 2019

『あおり運転』にもの申す

令和元年9月16日

毎日のようにあおり運転についての報道がなされています。確かに高速道路上で無理やり車を停めさせ、怒鳴り声をあげながら停めた車を運転していた被疑者の方を情け容赦無しに殴る様子が映り、尚且つあおり運転をした車に乗っていた女性がガラケーで写真を撮り続けているのまで報道されていたのを見た時には私自身「アングリと言うか唖然と言うか思わず絶句」でした。

但し一部の報道で「煽られる車も悪い」と言わんばかりの報道にも驚かされました。この発想は「下手なドライバーは運転するな」と言わんばかりに思えたからです。運転される方は、正規に免許を取られたわけで運転する権利があるのです。運転される方が全てプロのレーサーのように運転出来るわけでなし、車の免許を取った限りにおいては交通ルールを守るのは当然の事。自分の車がめっちゃ走る車だから「ルール通りに走る車は邪魔じゃ」的な発想はどこから生まれるのかと考えていた時、正にこの答えが出たと思える記事が今朝の朝刊に掲載されていました。

その記事とはあおり運転をして運転席からエアガンで相手の車に撃った容疑者の発言に「相手の方が危険運転をした。」とか「パッシングやクラクションでどいてもらおうとしたが、ブレーキを踏まれぶつかりそうになり、腹が立った」と供述しているのを読んで私の考えがまとまりました。

その答えとは『自己中心的な考え方』と言うものです。つまり、「自分はもっと早くに走りたいのに前の車がどいてくれなかった。私はパッシングやクラクションで警告したのにどかなかったお前が悪いのでエアガンで撃たれても仕方がない。」と言う正常な日本人なら理解出来る事を理解出来ない方が増えていると言う事。私が常に言っている「相手の気持ちになったケア」と言うのが空しく響いてしまう。

確かに私が運転している日常の中でも、片道複数車線の所で車間距離がそんなに空いていないにも関わらず右に行ったり左に行ったりする車を見かけて、「そんな運転をしてどれだけ時間を短縮出来るの」と思ったり、高速道路で追い越し車線が複数台連なっていて追い越しが出来ない事が分かっていて、車間距離を殆ど取らずに「早くどけ」と言わんばかりの車がいます。

私は事故に巻き込まれたくないので、無茶な車がミラーに入ると素直に走行車線に入る事にしてます。相手を殴った容疑者は『代車』でしたし、エアガンで撃った容疑者は盗難車で、ナンバープレートを偽造していたとの事。この心理は『自分だとわからなければ何をしても大丈夫』との発想なんでしょうか。かなり以前の知識で「完全犯罪は成り立たない。何故ならば犯罪を犯したと言う自責の念があるから、必ず犯人はボロを出す。」と言うのを記憶していたのですが、あおり運転をする方には当てはまらないのでしょうか。

しかし、殴った容疑者の方の逮捕されてからの様子を見る限りにおいては、「自己中では世の中通用しない」と理解してもらったように見えたので、これを契機に再出発して欲しいしあおり運転などが無い安心した日本再生に向けた取り組みを日本全体で考えていきたい。(あおり運転からめっちゃ大きな課題になってしまいましたがリピーターの皆さんも手をつないで運動して貰えたら嬉しいです。)