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Oct 18, 2020

『遅かったのが早くなったり、早かったのが遅くなったり』のお話

本日は『なぞなぞ』のようなタイトルですが、そんなややこしい話ではなくて、私の生活習慣が変わったと言うお話です。先ずは遅かったのが早くなったのは『食事での時間』です。私は何度もこのコラムで書いていますが末っ子の長男。つまり、父進さん母秋江さんにとっては待望の跡取り息子が(昔的発想かも知れませんが)誕生し、特に母秋江さんにとっては私を目の中に入れても痛くないような存在だったのです。(絶対に無理と言うより不可能ですが)尚且つ末っ子の長男に産まれた私は生まれながらの虚弱児だったので、母秋江さんの考え方は『我が子である宏を如何に元気な子に育てていくか』的な考え方だったと言っても過言でなかっかと思います。(今になってそのように考えるに至ったと言った方がより正確かも知れません。)と言う事で、私が小さい頃の我が家の食事の風景は『宏が如何にたくさん食べれるか』が大切だったので、どんなにゆっくり食べようが食べ終わった時にたくさん食べれたら大丈夫だったし、姉二人には卵1個を(昔は貴重な食べ物だったので、春子お姉さん御免なさい。)分けあっても末っ子の私はまるまる1個が食べれたし、私が好きな食べ物はいくらゆっくり食べても『宏に残しておくべし』の状況だったのです。だから極端な話し食事をしながら寝ていたとしても「宏は疲れているのだからゆっくり食べなさい」が許されていたのだと思います。つまり食べるのは滅茶苦茶遅くても良かったのです。食べることが遅かった私の生活が一変したのは26歳の時に児童養護施設の指導員になってからです。就職した当初はそれほどの役割もなかったので、50人近くの子ども達の中には食事の遅い子や私のように食事中にうとうととする子もいて、私の食事がゆっくりでも何の問題もなかったのですが入職して半年もすると私が食事中であっても色々な指示を出したりしなければいけなくて、(殆どわめいていたように思います。)それでいて出して頂いた食事は完食しなければいけないので、極端な言い方をすれば『生ま呑み』(巳年だから大丈夫)だったので、自ずと食事のペースは早くなり、今でも会合なんかでお弁当が出て多人数の方と食事を頂いている時、大抵は圧倒的早さで一番になってしまい時間を持て余してしまいます。「ゆっくり食べなければ」とは思うのですが40年も続いている流儀はなかなか変えられません。そう言えば一昨日(10月16日)の昼食が次のお約束の時間までに時間がないけれども、同行して頂いている方にまでコンビニのおにぎりと言うわけにもいかず、比較的融通を利かせてくれる中華の店に飛び込みランチを依頼して私にとっては当たり前のように完食したのに同行して頂いた方はまだ半分位しか食べられていなくて、私が食べ終わったのを見て慌てて食べられていたので、これは反省をしなければ・・・。食事の食べ方は早くなりましたが、末っ子の特権のような習慣はまだ残っています。それは、好きな食べ物は最後に食べると言う習慣です。だから、お寿司屋さんに行っても最後に残して食べるのは『まぐろの握り』です。早くなった話が長過ぎましたが、次に『早かったのが遅くなった話』をします。それは、『お風呂に浸かる時間』です。お風呂の時間が長くなったのはそんなに前からではありません。『カラスの行水』的な生活習慣は父進譲りです。どちらからと言えば熱い風呂に入ってあっと言う間にあがっていたのですが、かなりゆっくりになったのは、20年程前から、『唯一のリラックスタイム』と言う事で、情緒が落ち着いているときにお風呂で歌を気持ち良く歌うようになり、30分程度入るようになったのです。そして、特に長くなったのは、このコラムを連続更新するようになり(平成30年8月24日から続けてます。)家に帰ってからコラムを書かなければいけない時には、家に帰るなりお風呂に直行して、ぬるい風呂にゆっくり浸かりながらガラケーの携帯でコラムを打つのですが、下手をすると「気が付けば一時間をはるかに過ぎて入っている」と言うことが度々です。しかしながら、「ゆっくり入っている。」とは言え、しっかり洗っているかと言えば・・・。ぬる~~~いお風呂にゆっくりと言うかじっくりと入っているので体の芯まで温まり(夏場は必要ないのに)最後には頭から水をかぶって出てきます。こんなお風呂の入り方は滅茶苦茶贅沢な事だと思いますがリピーターの皆さん今の私は頑張っているのでこれ位は許されますよね。