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Mar 22, 2019

本日も強行スケジュールです

平成31年3月22日

昨夜は22時過ぎにホテルのチェックインを済ませお風呂にゆっくり入り(「ゆっくり」は入りましたが浴槽が狭いので「ゆったり」とは入ってません。)23時には布団に潜り込み今は7時前ですが本日午後から行われる全国老施協代議員総会を副議長としてどのように進めていくべきかを、迷うところについては携帯で連絡して教示を頂いたりして、しかしながら感心するのは連絡するどの方も3コールまでに出て頂ける。

つまり、出来る方は朝が早いと言うことが言いたいのです。中村会長がお元気だった頃は朝5時には電話がかかったものです。実は私が丸坊主になったのは、確か神戸で全国大会があり、私はけっこう遅くまで役員さんとのお付き合いをしていて、寝ていたところに中村会長から連絡を貰ったのです。(多分、5時頃だったと思います。)びっくりして飛び起き電話に出ると中村会長からいきなり「すぐに部屋に来い」との事。慌てて着替えて廊下を走り部屋に入ると既に何人かの役員さんがおみえになり、中村会長の第一声が「何じゃぼさぼさの髪をして」だったので、神戸から帰り結構なロン毛だったのですがばっさりと切り、次に中村会長にお会いした時に「会長、どうですか。」と話し掛けると「まだまだ」との答えが返ってきたので、またまた地元の床屋さんに行って丸坊主にして今に至ってます。この徹底したやり方は父親のDNAかもしれません。

私の父親は30歳を過ぎて戦争に駆り出され戦後は旧ソビエトで捕虜になりシベリアに抑留され戦後1年位してから日本に帰ってきて、教員として復帰して私を産んでくれた母親秋江さんを石垣越しに見て一目惚れをして(これは父進から聞いたので間違いないと思います。)結婚したそうです。そんな父が物資がない時代で品質が良くない物を髪につけていて、母親から「べたべたのものを付けるくらいなら丸坊主の方が良いよ」と言われてから80歳で他界するまで丸坊主で通したのです。私とは状況が違うとは言え、頑固にやり続けるDNAは同じような気がします。さて、本当に今日も拘束時間が長く全国老施協の本部がある平河町の塩崎ビルに9時過ぎに行き、議長と共に午後2時から行われる代議員総会の打ち合わせを事務局として10時過ぎて海運クラブに移動して日本介護支援協会の役員会に参加して、11時10分に、今度は参議院会館に移動し(荷物チェックで一苦労しました。と言うのも昨夜とは違うホテルに泊まる為に荷物を一杯持っていて、色々な物を出しても出してもびーびーなるのです。)全国介護政治連盟の情報交換がある、昼食後は品川プリンスホテルに移動して代議員総会で副議長席に。

その後はフロアを変えて交流会がありあちこちのテーブルを周り色々な方とお話が出来ました。今は朝が早かったのでホテルの部屋でコラムを打っているのですが、3つの会議の中でも政治連盟では岐阜県での活動をしっかり話し出来たし、代議員総会では議長のフォローが出来たし、私なりに充実した1日でした。明日はホテルを7時にはチェックアウトして、関ヶ原ふれあいセンター10時でのてるてる座600回記念公演の打ち合わせです。元気に走り回れる事に感謝しながらも、たまにはゆっくりできる時間も欲しいなと考えている私は贅沢者でしょうか。