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Mar 7, 2021

1988年にアメリカ研修に行かせて貰いました

令和3年3月7日

資生堂福祉財団の海外研修団に参加させて頂いたのは、私が誠心寮で指導員になった1979年9月の事です。福祉の事など何も知識のなかった私が僅か勤続年数9年で参加させて頂いたのは、今から考えたら脅威に近いものがあります。だって資生堂福祉財団側にとっては、一人の団員を送り出すのに約100万円を資金提供をするのですから。全国から僅か17名の強者の中に選ばれたのは今でも凄い事だったと思っていますし、岐阜県から私より前に参加されたメンバーを見るとそうそうたるものですから。但し、その頃の私は今から考えるにかなり『調子ついた』と言うか『仕事に乗りまくっている』と言うか『向かうところ敵なし』のような毎日でした。

今から考えると冷や汗ものの様ですが、『養護施設 東海北陸ブロック研修大会』で発表した際にフロアの方から「そんな展開は絶対に出来ない。」と言う意見が多かった中で、「経験豊かな先生方が何を言ってるんですか」的な滅茶苦茶生意気な態度で話しをしていたのを覚えています。そんな私がアメリカ研修中には良き団員に恵まれ、児童福祉から高齢者福祉に変わった今も年に1回の『ボストン会』(同窓会のような集まり)には参加しています。但し、昨年についてはコロナの影響で延期になっています。

さて、私がアメリカ研修では多くの事を学ばせて頂きましたが、特筆すべき事項について以下に述べる事にします。一人の児童の問題に対しても福祉専門職の方の他に、精神科医、小児科医、歯科医等多くの方が関わってのカンファレンスが開かれていて、私が参加させて頂いた会議の中のいわゆる座長的存在の方が福祉専門職の方であったのは、日本の状況との違いを垣間見る思いでした。つまり、福祉専門職の社会的認知度も高く政府からの援助も手厚い事を知り、ここで私は大いなる勘違いをして、アメリカ研修から帰って直ぐに「アメリカの5年後、もしくは10年後には日本にもこの流れは来る。と思い、在宅の個別指導で頑張りたい。」と考えて児童施設指導員を辞す事を考える様になりました。(実際に退職したのは3年後です。)もう一つインパクトが強かったのは、素敵な白人の夫婦が里親として子育てしているとの事で家に訪問した際に、若い白人の女性が赤ちゃんを抱いて自慢そうにしている赤ちゃんが、明らかに黒人の赤ちゃんだったのには正直驚きましたが、本来こんな事で驚いていては日本の里親制度は上手く行くわけがないと自嘲気味に思った次第です。

私の38歳からの波瀾万丈はアメリカ研修から始まったと言う事ですが、自分がしたい事をする人生は大変ですがある意味充実した日々だと思っていますので、これからもめげずに頑張ります。リピーターの皆さん、ハラハラドキドキの私の生き方に宜しくお付き合い下さい。