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May 9, 2022

髪の毛のお話をします。

令和4年5月9日

私の髪の毛は、産まれた時には黒々とした髪の毛が生えていたと母秋江さんから聞いた記憶があります。どうして記憶に残っているかと言うと、私の父進さんは若い頃から禿げていて(お父ちゃんの悪口を言ってるのと違うから怒らんといてね。)あだ名が『若禿げさん』だったと父進さん本人からおもしろく教えて貰いました。(と言う事は若山進先生は結構ユーモアのある方だったんや)母親の秋江さんは「宏がお父ちゃんのように若い時から禿げたら可哀想だから昆布を沢山食べなさい。」と言われて育ちました。だから今でも塩昆布やとろろ昆布は大好きです。(あいからわず、本題になかなか入れません。お待たせしました。これから本題です。)

小さい頃はいわゆる『坊っちゃん刈り』で小学校を卒業するまでそうだったと思います。と言うより殆どの同級生はそうだったと思います。(何人かは丸坊主だったかな)中学校は『丸坊主』との校則があったので当たり前のように丸坊主でした。(今の時代にそんな校則があったら大変です。)高校時代は生活指導の先生の許容範囲でのロンゲにしてました。そして、大学時代は完全なるロンゲで大学2年の時には養母の英子さんから「長い髪を綺麗にしていくためにパーマをあてた方が良いと思うよ。」と言われて、近所の理髪店で今須で初めて男性でパーマをあてて頂きました。その当時ヘップと言われる履き物にラッパズボンをはき髪の毛をなびかせながら闊歩してました。(多分その当時の若者は、そんな格好をしたのが回りにはいっぱいいました)そんな格好をしたのは大学4年までで、大学5年の時にはいわゆる『七三分け』に髪の毛をばっさり切ったので、大学の事務局の職員から随分冷やかされたのを覚えています。(大学の事務局の職員にそんなことを言われるのは大学で目立った存在だったから)

大学を卒業して教員に採用されてからは七三分けから少し長めの髪型になりました。そして、勝手に教員を退職していわゆる『勘当』をされた時の約半年間は、床屋さんにも行かなかったので伸び放題の髪だったと記憶してます。ただし、児童養護施設時代も長めの髪だったですが、流石に伸び放題と言う事ではなかったです。児童養護施設を38歳で退職してからはいわゆる自由業のような生活、と言うかフリーターのような自己責任の中で大学や短大での非常勤講師を多い時には週に13コマをこなしつつ家庭教師も掛け持ちで行い、尚且つ新しい事業の提案の為にあちらこちらに行っていたので、そこそこ長めの髪型だったと思います。

だったら今はどうして丸坊主なの」については私のコラムを読んで頂いているリピーターの皆さんは既にご承知の事なのですが、私をこよなく可愛がって下さり、尚且ついたぶって下さった中村博彦先生(元全国老人福祉施設協議会会長で参議院議員)抜きには語れないのですが、その出来事についてはいずれ書かせて頂きます。だってその課題になると一杯書かなければいけないので・・・。私と中村博彦先生との関係をご存知な方も少なくなったなと思うと寂しい思いにもなるなあ・・・。勝手に思い出に浸ってる私です。でも、過去に浸っている生活をしたいわけでは決してありませんから。次の展開も脈々と考えていますので、リピーターの皆さんこれからも宜しくお願い致します。