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Nov 17, 2022

『できるとき、できること、できるだけ』今朝の大谷徹奘師の言葉です。

「そうや、この言葉は私が一番心掛けた事や」と思っています。勿論、小さい頃から出来たのではありません。と言うより26歳で児童養護施設の指導員になり、世間知らずの私を徹底的に叩き直してくれる本当に厳しい指導をして下さる方がみえて、私は世間知らずが故にその教えを素直に聞いて実践してきたから今の自分が形成されたのだと思っています。多分私が少しは世間を知っていたのなら馬鹿馬鹿しくて13年も続かなかったと言うより半年も我慢出来なかったと思います。そう言う意味では何が功をこうするかは分からないものだと自分の事なのに第三者への評価の様に述べています。『出来る事を出来るだけ頑張ろう』と思えるようになって、私は児童養護施設においては、施設に入居している子どもの殆どが低学力の学力遅滞児だったのです。勤めだした頃は衝撃の毎日でした。この現象は子ども達自身の能力が無いのでは無く、親が子どもの学習に対して全く興味を示さない事に起因している事を勤めて3か月も経過する中で理解しました。「磨けば良いものを持っているのに磨かれていない。だったら、私が学習担当指導員何だから私が何とかするしかない。」と言う事で『できるとき』は・・・「気が付いた今でしょ。」『できること』は・・・「どの様にしたら良いのかわからないので、父進さんは教育者としては素晴らしい功績を築いた方なので聞くしかない。」と言う事で必死な思いで聞きました。その答えは「特別支援学校を紹介するので行ってきなさい。」と言うものでした。今考えると少しピントは外れていたのですが、私は藁おも掴む思いで特別支援学校に行きその当時の教務主任の先生から教えを請いました。『できるだけ』は・・・それを元に一人ひとりの計画を立てて一人ひとりに合うであろうと思われるプリントを手作りする毎日になりました。それと共に、中学生については集団学習の後がマンツーマン指導を実施すると言う事を自分で決めた事とは言え(納得をしてついてきてくれる素直な子ばかりで助かりました。)生活が一変しました。つまり、それまでは、14時から22時の就業時間が10時から23時の休みも殆ど取らないものになりました。勤務時間に対しては「勤務時間はフレックスで大丈夫」と豪語していました。そんな毎日の中、厚労省が後援している海外研修団『ボストン会』に参加して「在宅で大変な子どもに手を差し伸べたい。」と言う事で退職を決意してからは、紆余曲折が一杯山の様にありましたが、その都度のたうち回りながらも「今も生きて頑張っている。と言う状況です。昨日のコラムで『出過ぎた釘は打たれるけれども、出過ぎた釘は打たれて倒れる事はない』的な事を書きましたが、その真実は「自己責任が伴う」と言う事です。失敗をして成長する事もあるのでしょうが、私の場合は『火中の栗を拾う』ような事をしては多くの方に助けて頂いて今がある。」と思うとリピーターの皆さん「私は何と幸せな人生なんだ。感謝・感謝でこれからも頑張らなければ」と思っています。