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Nov 27, 2022

『日々に感謝』とは・・・

令和4年11月27日

禅問答の様なタイトルで恐縮です。ただ、本日の朝のお墓参りの時にふっと浮かんだ言葉を本日のコラムで正直な気持ちを書いてみたくなったので、リピーターの皆さん申し訳ありませんがお付き合いして下さい。

私は38歳の時に初めて大学の講義をさせて頂いた時に(大垣女子短大幼児教育科)「福祉の『福』にも福祉の『祉』にも『しめすへん』がある。このしめすへんの元は神様に供える為の三宝(仏教の世界では『三方』)を表しているそうです。つまりお供えするものが無ければ三宝などは意味のないものになってしまう。と言う事は豊かさがあってこその福祉なのです。この世界を超越した教えは仏法の中にはあります。手塚治の『ブッタ』と言う作品の中でお釈迦様に何も差し上げるものが無いと思った兎は、自ら火の中に飛び込みお釈迦様に食べて貰おうとして昇天して天国に召されると言うのが有りますが、その様な事は現実にはあり得ないのです。だから、福祉を語る時には、先ずは豊かな国を築かないといけないのです。」等と話したのを今でも覚えています。

現代において理不尽な事がまかり通っているのが統一教会の手法だと思います。つまり、寄付が出来る根拠も無く多額のお金を寄付するのは断じて許される行為ではありません。(そんなのは宗教でも何でも無いと思います。)

さてそろそろ本題に入ります。(いつものことながら本題に入るタイミングが遅くてすみません。)『日々に感謝』が出来るのは日々の生活が満たされているから「ありがたい」と言う言葉が自然に出てくるのだと思います。勿論、日々の生活で完璧に充足されているかと言えば、そんな事は有り得ないと思います。しかしながら、不足を言えば切りがないので、今の状況の中で『感謝』の気持ちを持った日々こそ幸せな生活だと思います。

そう言えば『感謝』とは少し話題が変わりますが、最近楽しみが一つ増えました。それは我が家に『お餅君』と言う家族が増えた事です。お餅君は所謂『野良猫』を一年近くしてきて野良猫の仲間の中では「臆病のいじめられっ子」(可哀そうに尻尾の先の毛が無いのです。)だった為かなかなか家族の中に溶け込めなくて猫部屋の中の隅っこに隠れてしまい、顔を見せてくれないのです。それでいて皿に入れられた食事はしっかりと食べてあるのです。我が家に来た当時は「可愛くない猫じゃ」と思っていたのですが最近は朝私が4時30分に猫部屋の前を通ると廊下に近い所に座っていて「ニャー」と鳴いてくれるのです。それに対して私は優しく「おはよう、お餅君」と話しかける様になりました。もっと劇的な事は私が寝にいく為に猫部屋の前を通るとこれまた「ニャー、ニャー」と鳴くので猫部屋に入ると私に絡んでくるので『チュール』と言うスティックを1本食べさせるのにお付き合いしているのですが「めっちゃ可愛い」と言う事で癒されている事にこれまた感謝です。

本日は14時から社会福祉法人杉和会の理事会が開催され無事に終わった事にも感謝です。リピーターの皆さん、つまらない一日より感謝の一日の方が幸せだと思いませんか。

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