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Sep 23, 2021

お墓の事での私の愚痴を聞いて下さい。

令和3年9月23日

私の母親代わりの長姉光子は私が高校2年4月7日に急逝しましたので既に50年は経過したのですが、いつものウォーキングとお経を唱えているときにふと頭に浮かんだ事をありのままに書きます。私の長姉光子さんは新婚半年でくもまっかの為に急逝して、私の人生も大きく変わったと思うのですが、私以上に変わったのは姉光子のその当時の旦那さんだったと思います。

私の父進は「嫁いだ以上は嫁いだ家の考えに従う。」と言う考え方をする常識人だったので、姉が急逝して早々にお墓を姉光子だけのを建立された時も何も言う事はなかったのです。尚且つ、早々に後添えを迎えられたのには私自身驚きと怒りを覚えたのですが父進は何のコメントもなかったです。姉が他界した当初はお墓の花もしっかり供えてあったのですが、新しい奥さんを迎えられてからは・・・。ところが不思議な事に姉が嫁いだ家のお母さんが亡くなられた日が姉の命日の日と同じだったので、それ以降は花はついでのように供えられるようになりました。

そして、3年程前のある日に姉の旦那さんだった方から次姉の春子さんに一通の手紙がきました。それを私が読んでの感想は「これで嫁いだ家のご先祖様の仲間入りが出来た。」と安心して、直ぐに姉光子が眠るお墓に行きました。そして私は『安心が怒りに変わりました。』何故ならば『先祖代々の墓』はわかりましたがその隣に設置されている墓誌を見た瞬間に怒りと共に涙が溢れてきました。と言うのは墓誌に刻まれているのが2つのグループに分かれていて、右半分には姉光子が嫁いだ先の祖父母と両親の名前がありくっきりと中央にラインが引いてあり、姉光子はそれ以外のその他の中に入っていたのです。早くに死んだ姉に罪がありますか。

姉光子は新婚半年で死んだのがいけなかったのですか。どいして、その他のグループにいれなければいけないのですか、いずれ誰もが死ぬのです。後添えの方と仲良く名前を連ねてはいけないのでしょうか。ちなみに私の父進も母秋江が他界して6年後に私にとって養母である英子と再婚し今は生母秋江、父進、養母英子が仲良く並んで墓誌に入っています。別扱いするくらいなら若山家の墓誌に入れたのに。お墓を新たにされる前に相談して欲しかった。でも、姉光子が嫁いだ家にはそれなりの事情があるのだからこちらの見解を言っても仕方がない。「まっ、いいか」若山家の仏間には父進、母秋江、姉光子、養母英子の4人の写真があがっていて、毎朝挨拶しているし。

姉光子には院号がついていないので私は父進は南無至心院釈善進、母秋江は南無温香院釈尼貞信、姉光子は南無『若山院』釈尼浄宣、養母英子は南無信願院釈尼宝英と大きな声で唱えています。リピーターの皆さんには何が言いたいのかわからないかも知れません。だったらごめんなさい。何故か秋分の日の今日だから愚痴を聞いて貰いました。

ちなみに本日16時過ぎにお墓にお参りしてお経を唱えて、施設に帰り明日本館1階の仮装大会の衣裳がばっちり着ることが出来たので今は明日に向けてワクワクしてます。リピーターの皆さん明日の「私ってキレイ」バージョンをご期待下さい。『ワクワクワクワクワクワクワクワクワクワクワクワクワクワクワクワクワクワクワクワクワクワクワクワク』