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Jun 2, 2019

バテバテで午後から休みを頂き二時間寝たので頭がピュアになりました

先般講演頂いた大谷徹奘(てつじょう)師から頂いた事を書く事にします。大谷師の講演のキーワードは三つありました。一つに『よっぽどの縁』二つに『自覚悟』(じ・かく・ご)三つに『身心安楽』(しんじんあんらく)です。その中で今回は『自覚悟』について書く事にします。先ずは師の講演の説明をします。悟りについての話になり、本来『悟』は『自覚』と『覚悟』の二つの言葉からなり、『自』と『覚』を取り『悟』の意味になったと言われました。確かに『悟りとは』などと問われた時に何となく分かったように知ったかをしていたように思いますが『自覚』して『覚悟』をしたのが『悟』と言う本来の意味だと言われてみると、「スカッと」わかったように思いました。つまり、どこかの番組ではありませんが大きく「ガッテン」と言う事です。私はこのコラムでも書いたと思うのですが、『38歳の時に初めて自分で自分の事で決断した。』と。その決断とは13年も勤めさせて貰い、嫁さんも子どもも二人いる中での決断でした。つまり、ここでの決断は大谷師の言い方をするならば『よっぽどの決断』であり、その決断を許してくれた家族がいると言う事です。38歳で児童養護施設の児童指導員を辞しフリーの立場で大学、短大、専門学校で多い時は週に13コマの講義と家庭教師、そして本来したかった非社会、反社会の子どもたちの個別指導に取り組み、理想に燃えた『覚悟』はありましが現実問題としての『若山家の経済状況』を日本の制度は認めてくれず、私の覚悟は挫折に変わるしかなかったのですが、固くなな考えではなく、理想の形を変えていく事で自分の『自覚』が芽生え今の自分を作り、まだまだ『悟』の境地には程遠いですが『自覚』をする中から『覚悟』が作られたと思います。私の場合は『覚悟』と言う言葉より『腹をくくる』と言った方がより的確な言葉だと思います。と言う事は日本の制度が、社会が、地域が私の今の形を作ってくれたと言えるのかも知れません。正直、大谷師の講演内容とはかなりずれたものになってしまいましたが、リピーターの皆さん私の意を理解して頂きご意見を頂ければ幸いです。