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Mar 6, 2022

リッドは私の中にもしっかりと残っています。

令和4年3月6日

このコラムで我が家の猫『リッド』が満20歳(人間で言えば97歳)で天寿を全うしたことは書きましたが、今も私の心の中に強く残っている為か元気な時の残像を度々見てしまうし、元気な時のリッドの為にしていた事をついついしてしまい思わず苦笑いをしてしまう事が度々です。確実に見てしまう残像は我が家の玄関を入り廊下を見るといるはずがないリッドがいつものように座って迎えてくれているように感じてしまうのです。そして、眠りが浅い時には布団を動かす度にリッドが私のベットに乗って来たように思ってしまうのてす。

また、私がついついしてしまうのはリッドが私の寝室に入れるように入り口の戸をリッドが入れる分だけ開けておく習慣がいまだ抜けなくてこれまた苦笑してしまいます。また、1階の洗面所に行くときも戸を閉めていかないと廊下を悠々と闊歩して元に戻すのが大変なので必ず戸を閉めて行く習慣がついていて、戸を閉めなくて良い事に気付きこれまた苦笑してしまいます。そして、私は信じている不思議な体験の話をします。それはリッドを火葬していただき骨になり骨壺に入ったはずのリッドが深夜に私の寝室に来たお話です。(私はその様に信じてます。)

それは、眠りが浅くいつものように午前2時に夢うつつの中で、リッドが来たように思っていたところ、箪笥に立て掛けてあった足を乗せるマットが転がったのです。私は夜中にマットを転がす者はいないのでリッドがお別れに来たと確信しています。リッドが私のベットにくるようになったのは随分前からだと思っていたのですが、昨夜次男とリッドの話をしていて「かなり前から来るようになった。」と話をしていたら私の奥さまかをりさんが「今年の2月になってからです。」と言われて、と言う事は本当にリッドと仲良くなったのはほんの1ヶ月にしかならないのかと自分の記憶の危うさを理解しました。つまり、人間の記憶のいい加減さに驚いています。リピーターの皆さんもそんなことを考えた事はありませんか。もし良い事例があれば教えて下さい。