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Jun 21, 2022

妙応寺では色んな発見や思い出が浮かびます。

令和4年6月21日

『関ヶ原与一』は藤原基清と言う人物で牛若丸にも関わった(殺されたと言う事ですが)と言う事ですが、平家と源家が争っていた平安時代末期の事で歴史で語られるのは『勝者からみた伝えかた』になるので、真相はわかりませんが、謡曲になって伝わっている位ですから、どちらにしても関ヶ原を中心とした有力者に違いないと思います。本日も山門が開いてなかったので山門前で般若心経を1巻唱えてからぐるっと回り六地蔵さんに行き、それぞれのお地蔵さんに手を合わせ、草をむしってから我が家のお墓に行き、水かえを4ヶ所(若山家、吉澤家、及川家、柴田家)してからしっかりとお経を唱えて再び六地蔵さんから今須稲荷、本堂経由で帰ることにしました。

六地蔵さんから『常在不滅之塔』に移りいつも気になっていた木魚に頭を乗せて眠っている可愛いお坊さんを見て本日はふと私の次男が小学生の時に四国遍路に一緒に参加させた時の事を思い出しました。その出来事とは大阪から船底に乗って四国に向かった時に(旅費を安くする為の方策だったと思います。)次男は初めての船に興奮すると共に自販機でカップ麺を購入して食べたりするのが嬉しくて何度注意しても眠りに着こうとせず、(私はしっかり寝ましたが)殆ど寝てない状況でいざ四国遍路が始まって札所ごとにお経を唱えるのですが、次男はお経が始まると階段の所に頭をもたげて寝ているのを思い出しました。

その時は父親らしく「あれ程寝なければいけないと言ったのに。でもこれも良い経験だ。」と思いましたし、何となく次男の事を微笑ましく思っていたことを思い出しました。次の写真は本堂の屋根から雨どいの水受けの大きな物に龍がレリーフの様になっているのを見つけ(何度となく見ているはずなのですが興味を持って見ていなかったようです。)龍は私にとってトレードマークの様なものなのに今まで気付かなかったのが不思議な気がしてます。本堂の写真は流石に別格本山としての威風堂々と言う感じでしょ。私が小さい頃は(50年以上前)修行僧も沢山みえて、クコ料理の精進料理があり、観光バスでのお客さんもあり、近所のおばさん達が多くお手伝いに行かれていたのを覚えています。(今はその様な事も無くなってしまい非常に残念に思います。)赤い鳥居がある写真が『今須稲荷』です。本堂の西隣にあるのも当たり前の様に存在してますが本当は不思議な事の様に思います。

山門の右手にある鐘突き堂なのですが実に立派な建物だと思います。この鐘突き堂へは12月31日の夜には紅白歌合戦が終わってから鐘を突きに毎年参加してましたが、正直紅白歌合戦を見なくなってからはその年中行事が若山家から無くなったなとしみじみ思った次第です。「あっ。そう言えば思い出しました。」小学生のころは日曜日学校が開かれていて座禅やお経を習った事を。リピーターの皆さん。朝早くウォーキングマシンが動かなくなり、外を歩くようになって小さい範囲ですが『地元探訪』を楽しんでいます。これは一石五鳥位になっていて素晴らしいと自画自賛です。と言うより、子どもの様な目で色んなものが見れる事に幸せを感じています。

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