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Jun 17, 2022

山門が開いてない

令和4年6月17日

昨夜はお腹が張った状態だったので、夕食はパンと牛乳のみにして、20時過ぎには眠りにつきました。まだ少しお腹は重い感じはありましたが、いつもの4時31分のアラームで爽やかに起きて行動開始。水かえとお参りを終えて、5時20分にはペットボトルに入れた我が家の水とお賽銭の小銭と杖と数珠を持ち我が家を出発。いつもの様に歩いたのですがいつもと違っていたのが2つ。

1つ目は「仏間の蝋燭は消してないのでは。」と言う事で若宮神社の出張り所から戻った段階で一旦家に帰り、確認すると仏壇の蝋燭は消してなかったのでしっかりと消してから再び家を出て、妙応寺に向かいました。幸福地蔵菩薩様でもしっかりお参りをして、トンネルも快適に歩けました。

いつもと違う2つ目の事なのですが、『お寺の山門が開いてない。』と言う事で、山門の前で般若心経を1巻を唱えてお寺の境内が通れないのでぐるっと回ってお墓に向かいました。若山家のお墓に行く前に六地蔵さんの所で中央のお地蔵さんから一人ひとりに挨拶をして、お墓の方からだと本堂にいけると言う事で改めて本堂に向かうと鐘が鳴ったので「うん」と思うと続いて木魚の音が本堂から響いてきましたので、改めて本堂の前で手を合わせてから(この段階では山門は開いていました。)今須稲荷に行き小銭を賽銭口から入れると軽やかな音が響きました。

再び六地蔵さんの所を通り我が家のお墓に行きペットボトルの水を若山家、吉澤家、及川家、柴田家と入れて回り改めて我が家のお墓で般若心経を中心にしたお経を唱えて再び六地蔵さんの前を通り「うん、何か忘れて無いか」(頭をポクポクと叩いて思い出しました。「六地蔵さん前の草を3本ずつ抜くのを忘れていた。」と言う事で「一日坊主になるところだった。」と思いつつ「継続は力だ。」と思うと同時に「毎日少しずつにしていけばきっと綺麗になる。」と思いつつ爽やかな気分になりました。

再び本堂の所を通って家に帰りました。家に帰る間に「一体だれが山門の戸を開けられたのか」と色々と考えていました。本堂で鐘が鳴り木魚が叩かれて読経が聞こえてきたので、妙応寺の方丈(一般的には住職と言いますが)が開けられたに違いない。と思いながらもだったら毎日読経が聞こえてきても良いはずではないか。と思ったりしました。

さて、本日は10時から全国老人福祉施設協議会による制度政策検討会議が行われました。この会議は今後の全国老人福祉施設協議会の進むべき方向性を決めて行く大切な会議で、私は会議に参加された論客揃いの皆さんの意見を聞いていて最後に私なりの意見を言わせて頂きました。「社会福祉法人の担うべきものが希薄になっているのではないか。」「かつて施設で当たり前にしていたことが出来ていない施設があるのではないか。」との意見を言わせて頂きました。

話をしながら単に嘆いているだけでは何も変わらない。だから私は全国老人福祉施設協議会副会長として何をすべきかを明確にしながら頑張らなければと考えていますのでリピーターの皆さん、私の動きにも注目していて下さい。