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Jun 1, 2020

岐阜県が誇る政治家『大野伴睦』の特集を見て

『大野伴睦』と言う偉大な政治家が岐阜県から輩出されていて、総理大臣にはなれなかったが自民党副総裁で新幹線の岐阜羽島駅を地域誘導で誘致して、今でも駅前に銅像がある事は知っていましたが、週刊現代6月6日号に特集があり、改めて偉大な政治家であることを認識しましたので私なりの受け止め方で述べてみます。その特集は『昭和の怪物』研究の記事に書いてありました。1ページ目には『政治は義理と人情だ』『裏切るくらいなら、裏切られることを選ぶ』とあり、先ずは「浪花節大いに結構」と思い記事を読んで行く内に魅力一杯と思った次第です。そして『反エリートの重鎮「伴ちゃん」が遺したもの』見出しを見て【今年、結党65周年を迎えた自由民主党は、党員108万人(昨年末時点)を誇り、現在に至るまで、政権与党として日本を率いてきた。だが、「自民党を創ったのは誰か?」と問えば、真っ先に名が挙がるのが、大野伴睦初代副総裁である。この男がいなければ、自民党は誕生していなかった。】との記事を見て私は改めて「岐阜が誇るめっちゃ凄い人やったんや」と恥ずかしながら思うと共に同郷であることが嬉しくなりました。昭和33年に、当時の自民党「8大派閥」の実態を描いた渡辺恒雄・現読売新聞グループ本じゃ主筆の著書『派閥』では、こう紹介している。【大野派という所は恐らく保守党内の派閥としてはもっとも団結の固いグループであり、大野派の会合ほどなごやかな雰囲気で終始するところはないといえよう。大野派の団結は、子分たちの政策論議や思想統一によって維持されているのではなく、親分伴睦の人柄によってかたまり、その統制力はきわめて強大である。】伴睦の孫である大野康正参議院の述懐で「ある夜更け、自宅に泥棒が入ったのですが、祖父は翌日からの外遊の為に枕元においていた60万円を渡し、『いまはこれしかないが、もっと要るのか?』と心配げに聞いた。すると泥棒は恐縮して、『必ず働いて返します』と頭を垂れた」との話にはスケールの大きな人情家だったのだと思いました。大正13年、昭和3年と地元の岐阜から立候補するも落選。昭和5年の3度目の選挙では、政友会の公認が得られず、「非」の字だけ極小にしたポスターを貼った。選挙戦終盤になって大野優勢が伝えられると、政友会本部から追加公認の電報が届いた。だが大野は「公認返上ス   クソクラエ  伴睦」と汳電。39歳で国会議員になった。】とあります。今回紹介しきれなかったエピソードを見ていても、『普通でない生き方と度胸良く振る舞って活路を見出だした傑出した人物だとわかりました。リピーターの皆さん私と伴睦さんでは生きた時代もスケールも違いますが『熱い生き方には色々な救いがある」は同じだなと感じました。

正直昨夜は今後の戦略を考えていて眠れず本日は新規事業の対応と岐阜県老施協正副委員長会議でじっくり構える事が出来ずコラムも意を尽くせませんが次にリベンジしますのでご容赦下さい。