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Jun 12, 2022

改めて『週刊現代』の話題を書きます。

令和4年6月12日

今回の興味あった記事は『脇役稼業―加藤嘉―孤高のロマンス』と言うものでした。私が知っている加藤嘉さんは『ふるさと』と言う映画で認知症のお爺さん役を熱演された知識くらいしかありません。『ふるさと』と言う映画には少なからず私との因縁があったから覚えていただけで、普段は主役を張った方くらいしか記憶に残らないものだと私は思うのですが(『ふるさと』では主演を熱演されていますが)リピーターの皆さんはどのように思われますか。

ただし、今回の特集記事を読ませて頂いて滅茶苦茶人間としての魅力を感じたのでコラムの題材にさせて頂いた次第です。(ここまで書いた段階で方向転換する事にします。と言うのは加藤嘉さんの魅力を一杯書くつもりでいたのですが、『ふるさと』をインターネット情報で検索して私の記憶のいい加減さがわかり、『ふるさと』に特化する事にしました。)『ふるさと』の舞台になったのはリピーターの皆さんの多くもご存じだと思うのですがダムで沈んだ『旧徳山村』です。

徳山村は私の青春の1ページでもあります。既にご存じの方も多いと思いますが、私が父進さんに教員を勝手に退職して勘当されて(とは言え勘当期間は5か月間だけですが)勝手気ままな生活を送ったところで、撮影のメインになった所は私が居候をしていた民宿(増山たず子さん)がロケ地の中心だった事を後から知りました。私の記憶のいい加減な所は『ふるさと』の映画は私が居候をしていた時期よりも後だったにも関わらず前だと思っていて都合の良い記憶になっていたのです。『ふるさと』の上映は1983年ですから私は30歳。つまり私は26歳から児童養護施設の指導員をしていたわけですから、居候をしていた時代から4年は経過しているのに・・・。

多分、私が記憶違いをしているのは『ふるさと』の映画をみてから何度か徳山村を訪れていて、原作者がその頃徳山村で教員をされていた平方浩介さんで何度となくお酒を酌み交わして徳山村の将来について激論をした記憶が年代をがぐちゃぐちゃにしてしまっているのだと思います。週刊現代の記事で改めて加藤嘉さんの凄さを書きます。小見出しに『本当に死んだと誰もが錯覚した』とあり、『ふるさと』で監督をされた岐阜市出身の神山征二郎さんの記事をそのまま書きます。【嘉さんの役柄に没入する姿勢は群を抜いていました。代表的なのは今井正監督の映画『米』です。

当時43歳の嘉さんは半身不随の老人を演じるんですが、今井監督のダメ出しが続いた。そこで健康な前歯を全部抜いて現場に現れたと言うんです。似た話は三國連太郎さんにもありますが、同じことを嘉さんはしていた。私は監督作『ふるさと』で嘉さんに認知症の老人を演じてもらい、彼の没入ぶりに凄みを感じました。嘉さんは撮影中、ロケ先の村に一軒だけある喫茶店でコーヒーを飲むのを日課にしていました。

ある時、村の道の真ん中をふらふらと歩く嘉さんを見た住民がこう言うんです。「あの人は本当にボケているんでねえのか?こりゃあ映画が終わるまでに、村で葬式だぞよ」と本物の認知症の老人に見えていたわけです。亡くなる場面も見事でした。嘉さん演じる老人が山奥の釣り場で倒れ、息子の背負子(しょいこ)で下山する途中、命が尽きる。それまで生きていた人間の力が抜けて、ただの“モノ”になる。嘉さんは、生と死の境の瞬間も演じられるのです。

上映会で頂いた感想文の中に「加藤嘉さんのご冥福をお祈りしています。」と書かれたものがあったほどで、黒澤明監督からも「加藤嘉は絶品だ」とお褒めの言葉を頂きました。演じると言う感覚を超越して、「本当に呆けた」「本当に死んだ」と思わせる。嘉さんこそ本物の役者です。』私がコメントする余地が無い程のまとめ方を神山監督がされているので差し控えますが、余談のような事だけ述べさせて下さい。最初に結婚されたのがその当時既に大女優だった山田五十鈴さんで4回の結婚歴がある事も書いてありましたが、私が思うには『芸』に対する真剣さに魅力を感じられてとその情熱の純粋さ故だと思いました。私は『福祉・介護』の世界で『馬鹿になってこれからも仕事をしたいと考えていますので、リピーターの皆さん、これからもよろしくお願いします。