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Aug 8, 2020

昨夜は絶食をして『半沢直樹』の録画をみました

あいからわず、『半沢直樹』はヒヤヒヤドキドキの急転直下の流れに引き寄せられながら観ていて、その中で『感謝と恩返しが未来に繋がる』との言葉に私自身の生きざまをダブらせていました。最近の私のコラムでも『感謝』と言う言葉はよく使わせて貰っていましたが、改めて『恩返し』と『未来に繋がる』についても私の生きざまの中で考えてみました。まず、『感謝』について述べる時、私が今生きている事すら『感謝』です。私が小さい頃、今須に診療所があり女医さんで本多先生、看護師さんで通称『つるちゃん』(正直この呼び方しか知りません)の二人の存在がなければ、我が家の軒下に酸素ボンベを放置することは出来なかっただろうし、心臓が5分程度止まって復活することはなかったわけだから。そして、勉強が嫌い(と言うより苦手)だった私が曲がりなりにも大学を5年で卒業し小・中・高の教員資格がとれたのは父進さんの滅茶苦茶大きな包容力と忍耐の賜物だと思うと『感謝』等と言う言葉だけでは意を尽くせないものを感じています。そして、大学を卒業し教員に名を繋げる事が出来たのも私の努力ではなくてこれまた父進さんが色々と根回しをしてくれたからだと思っています。そんな父進さんを裏切る形になったのは、25歳の時に勝手に教員を辞めた時の父進さんの心情を考えるとあまりにでかい父進さんの深くて広い心に感謝の気持ちしか浮かびませんが決して恩返しは出来てない自分がいます。但し、最近は父進さんや母秋江さんの事をご存知な方とお会いすると「お父さんが(あるいはお母さんが)生きてみえたら喜ばれるのに」との話がでるので、今『恩返し』をしているのかもしれません。だって、父も母も私の手の届かない天国なので・・・。私の人生は正直最初から計画性があったわけではありませんでした。ところが、半沢直樹のような急転直下ぎりぎりのタイミングとまでは言いませんが、それでもそれに近いタイミングで救世主が現れて今があると言っても過言ではありません。胃に穴が開くのではないかと思うほどの大ピンチの時に何度となく救って貰い、その都度私自身大きく成長させて貰いました。その出会いは全て『感謝』です。次に『恩返し』ですが、これはあまりに大きな出来事に対して小さな『恩返し』をした話ですが一つ書きます。それは、私が今須の地に初めて施設を建設する事になった時に(本部本館)資金作りの行脚をしていて、その当時の法人筆頭理事になって頂いた中部圏の福祉の重鎮であった吉田宏岳先生(当時日本福祉大学中央福祉専門学校校長)の家へお願いに行った時に即座に1500万円の寄付を約束して頂いた時には『感謝』等と言う言葉では言い尽くせない思いで「私のしてきた対応にそれだけの価値があったのか」と自問自答しましたが、先生の自坊で毎月第3日曜日にお参りと写経会があったので、先生がお元気で開催されている間は時期に合わせて山菜おこわとか竹の子ご飯とか栗おこわ等を作って貰い届けました。これは小さな小さな『恩返し』だったと思いますし、それが今(未来)に繋がっていると考えています。勿論、色々な皆さんに『今あるのは皆さんのお陰』と言う事で『感謝』を込めての『恩返し』の一つとして、『盲養護老人ホーム』の新規事業としてさせて頂いてます。と言うのも、岐阜県内のどの法人も必要性は理解していても「経営が厳しい」と言う理由で建設に至らなかったものに対して、関ヶ原と大垣の施設の頑張りの中で何とか視覚障害者の方々にも安心して頂けるようにすることも『恩返し』の一つと考えています。リピーターの皆さん私は土地もないお金もない中から今がある以上決してお金儲けでなく地域の方の為(関ヶ原、西濃、岐阜県と地域が拡がっていますが)なるために今まで以上に頑張りますのでこれからも宜しくお願い致します。