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Sep 13, 2021

昨日の岐阜新聞の3面記事を見て(本日は休刊です)

令和3年9月13日(月)

タイトルは『ぎふ    そもそも?なぜ?』でサブタイトルは『隣接するJR鵜沼駅、名鉄新鵜沼駅・・・運行の要、ともに重要視』を興味深く読みました。書き出しをそのまま書きます。(決して手抜きではなくて本意をリピーターの皆さんにしっかり伝える為です。)

「県内で、JR在来線と大手私鉄である名鉄が、開業当時から現在まで同じ地で近接している駅の一例に挙がるのが、今年開業100周年のJR高山線の鵜沼駅とその5年後に開業した名鉄各務ヶ原線、犬山線の新鵜沼駅。高架通路で歩いて行き来できるほど近いが、なぜ近接しているのか、そこには交通の要として重要視されたことが理由にあった。」

記事を読んでいる内に町作りの発展には10年先、20年先の見通しを立てた計画が必要なんだと思いました。JR鵜沼駅は高山線との接続を可能にして名古屋方面から飛騨を経由して金沢方面へつながる鉄路の必要性が見込まれての建設だったとの事。確かに名古屋から東海道線で米原に行き北陸線乗り換えるよりは便利だったと思われます。ただし、今は新幹線が時間的に早くて、新幹線で米原での乗り換えの方も多いように思われます。しかしながら、東南海地震が発生した時に海岸端を走る北陸線よりも内陸を走るルートが活用される可能性があり、新東名が山の中をトンネルで行く予備のように考えられるのと何処か共通するとしたならば、このルートは『先の先』までみていたと言う事なのかと一人で感心してます。

また、かつては(2001年)名鉄はJRに乗り入れて特急「アルプス」で高山までの運行が可能だったとか。(この運行がなくなったのは需要の関係だと私は考えています)その当時の考え方は鉄道会社の垣根を越えてのもので、画期的な考え方だったと思います。つまり『競合』よりも『共存』を優先させたと言う事です。JRと名鉄との乗り入れが無くなり2009年に完成した高架通路『鵜沼空中歩道』でつながるまでは、行き来するのには遠回りをして踏み切りを渡らなければならなかった。この通路が出来て徒歩数分で行けるようになった。それまでは「近くて遠い存在だった」らしい。

今、コラムを打ちながら垂井駅の改札口は北側にしかなくて、南側は田圃ばかりがあったのに、南北連絡通路が出来た事によって、南側の田圃は駐車場とアパートが乱立してお店も多くの進出して南側は目覚ましい発展を遂げている。いやいやその前に大垣駅も南北連絡が出来て北側が今ではメインのようになっているし。

(ここからは私の独り言ですが)関ヶ原駅の場合は南側にしか改札口が無いので北側に行けるようにしたら、色んな展開があると思うのですが『目の前の事だけ考える』の発想では、『関ヶ原合戦跡地』だけで埋没してしまいそうです。

今年の5月に事業開始した盲養護老人ホーム和(なごみ)は入居者がなかなか入らなくて苦戦していますがこれから岐阜県のセーフティーネットとしての役割は大きくて必ず必要なものになると確信してますので精一杯頑張って展開していきますのでリピーターの皆さん、ご理解とご援助を宜しくお願いします。