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Aug 25, 2021

昨日の約束通り『地区有林』について書きます

2021.8.25

関ヶ原町今須と言う山方育ちで戦後8年後に生まれた私だから分かる事で、その条件がない方にとっては(多分殆どの方がそうだと思いますが)「地区有林って何のこっちゃ」と言う事だったと思いますので、私が「こんなこっちゃ」と言う話をします。(昨日のコラムを書いていて思ったのですが、気が付いてから本題に入ると長くなるし、移動販売の『だるま』がくる時間が近付いていたので)本日は予告編の『地区有林』について書きます。(『書きます。』と書きましたが、正確な事を理解しているわけでは無いので、しっかりと下調べをしてから書きますので時間を下さい。)✳あいからわず前段が長くてすみません。✳

平成23年2月に林野庁が報告している『国有林の歴史・現状と今後の課題』の中で昭和22年~昭和40年代の状況は『戦後の復興用材及び高度経済成長期の住宅の需要に対応し、市場木材供給に努めた。これにより収益が増大し、民有保安林の買い上げ、一般会計への繰入の実施など独立採算を超えて国家財政への貢献等まで行った。一方、社会のニーズに応えるため、植え替える木の成長量を見込んで、伐採時点の森林の成長量を遥かに超える伐採や、林業効率性の低い奥地まで拡大造林を行うところとなった。』と言う記載がありました。確かに私の小さい頃の記憶の中で山持ちはお大尽と言うイメージがあり、その頃は山の境をで所有者同士で揉める事が度々あったように理解してます。次に昭和40年代~平成10年の記載では『昭和40年代以降、木材貿易の完全自由化とその後の円高の進行により、木材価格が低迷する一方、自然保護の要請に応えた収穫量の削減等により収入が減少。さらに人件費や資材費の高騰、伐採跡地への植林の増加などにより、造林に必要な経費が自らの収入によって自弁できなくなり、昭和51年以降財政投融資資金からの借り入れを行わざるを得なくなった。国有林の債務は造林のために使用され、造成された森林は公益的機能の発揮を通じて国民の安全・安心の確保に寄与してきた。』と記載されているのを目にして、私自身20歳の頃、父進さんについて滋賀県境の山の奥の方まで行き、いつも枝打ちをお願いしてきた方の指導を受けて檜の苗木を200本ほど植えた記憶があります。その時には父進さんから山の境についてしっかりと教えて貰った記憶があるのですが、正直、その山が何処に有るのかも分からない状態です。私の山へは本部施設が完成する前(平成9年)に地区有林の所に鉄塔が設置されると言う事で補償金を60万円頂いたのを原資にして、枝打ちをして頂いたきり行ってないので25年間は足を踏み入れてません。確かに50年くらい前には雪が降ったら『木をこし』と言った雪で倒れそうな木を縄でつないで起こすような事をした覚えがあります。

さて、かなり話題がそれましたが、今回の県庁からのお呼び出しは、平成29年まで岐阜県との契約をしていて、その後は何もしてない状態なので、契約を新たに結んで欲しいとの事だったのですが昨日のコラムで書いたように、大多数の方が亡くなられている状況で山の木に魅力を感じない方を(私を含めて)取り纏めをするのは至難の業だと言えますが岐阜県にご迷惑をかけるわけにはいかないので骨を折りたいとは思いますが、国の方向性のなさと言うか先を見る目がなかったと言うか。大きな立派な木を山から出してきても運び賃も出ないのでは魅力を感じろと言うのには無理がありすぎる。立派な木を3本切って1ヶ月優雅に暮らせるようにまでしろとは言いませんが山の地形を守るためにも山への愛着を持って貰う為にも制度設計を考えて頂かなければ山はもっともっと荒れてしまうと思うのですがリピーターの皆さんも山を守るためにご理解を頂ければ幸いです。