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Oct 1, 2021

朝のウォーキング&お参り中に思い出した事

令和3年10月1日

何故か何の脈絡もなく、中学校までずっと同級生だった(1学年1クラスだからクラス替えは無いのです。)クラスのいじめっ子であった二人の事を思い出していました。二人とも今須では有名な『いじめっ子』だったのですが、タイプは全く違っていました。一人は高校も同じで高校時代の彼は、体はそれほど大きくはなかったのですが相撲部で結構強かったのを覚えています。(私はかつての千代の富士のようだったと評してます。)彼はいわゆる『親分肌』で常にグループの中心的存在で気に入らない事があると向かっていくタイプだったのですが、やる気を無くすと投げだしてしまう事もたびたびだったように思います。私の中で一番印象に残っているのは、私達にとって最後の中体連郡大会の試合(卓球部)で敗けを悟ったら相手が返したボールをわざと大きく外して「勝負はしない」と格好をつけているのを見ていて、その頃の私は「やるなあ」と感心していました。(今の私なら「最後まで投げだすな」と激を飛ばすのでしょうが)私は何度も言いますがひ弱な子供だったので、彼にいじめられていたかと言うと逆に助けられてばかりだった記憶しかありません。そんな彼は運動神経抜群だったので、その延長線上でスポーツ店を名古屋で営んでいたのですが、早くになくなりました。私は色んな意味で世話になったのでお葬式には参列させて頂きました。もう一人のいじめっ子はいわゆる『悪餓鬼』と言う感じの男の子だったのですが、私は一度もいじめられた記憶がありません。それどころか助けて貰う事が多かったように思います。本部施設がある所の新年会に参加すると(コロナの為に今年は中止でした。)必ず悪餓鬼の彼に待ち伏せされて虐められたと言う話題になるのですが、中学生当時にそんな噂を一杯聞きましたが私の中では信じられない話しでした。そんな彼に本部施設の『コミュニティーハウス』で行った同窓会で50年ぶりにあったのです。彼は旧国鉄に入社して、今も現役の役員として働いていると言う事で、改めて思ったのは「やっぱり根性があったんだ」と言う事と「随分落ち着きのある人間になったな」と言う事でした。そして今朝考えたのは「いじめっ子の二人が私は苛めの対象にならなかったのか」と言う事です。そんなことを今更本人に聞くのもためらわれるし、一人は聞きたくても亡くなっているし。私なりの答えは、50年位前の子どもの世界は「本当に弱い子は苛めない。」と言う不文律があったのだと思っています。だって、本当に弱い子をいじめるのは『いたぶる』事になるから。私が小さい頃はそんな子供だったに違いないと思っています。私は13歳で母を亡くしたので親孝行は一切できていません。そして、私はひ弱な子供だったのです。今は自分で言うのも変ですが、どこから攻められてもびくともしないような感じです。そんな状況下で私は親孝行ができなかった分、施設利用者の方を親孝行をするような思いで接してます。また、困った人がいると『何とかして差し上げたい。』と思うのです。リピーターの皆さん。今はしてあしあげることが出来る状況にあることに感謝です。つまり、『ひ弱な子供からの恩返し』とでも言うのでしょうか。