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Aug 12, 2021

本日は父進の命日です

令和3年8月12日

平成4年の今日が父進の命日です。と言う事は父進の存在がこの世からなくなって30年が経過したのか。早い気がしますが、この30年で私の生活は激変したと言っても過言ではありません。私が38歳を迎えようとしている平成4年3月で児童養護施設を退職した時は正直自分が進むべき方向が明確になっていない状態(思いのみで具体性がないまま)のままで父進に退職した事を報告しました。しかしながら父進は「自分で決めた事を全うしなさい。」とのみ言われて、逆に責任の重さを感じました。その時長男誠は7歳で次男諭は2歳だったのです。確かにあの頃の私は理想のみを追い掛け現実を理解しない生き方だったはずなのに、父進は遠くから見ている文字通り『木の上に立って見る=親』そのものだったと思います。(自慢ではなく絶対に私には出来ないと思っています。)まだ、その頃の父進は関ヶ原町歴史民俗資料館の館長は辞めていましたが後進指導の意味で勤務してました。(満80歳でも仕事をしていて文字通り生涯現役だったわけです。)そして私は「非社会と反社会の子どもを何とかしたい」との思いで、生活の糧は大垣女子短大の非常勤講師と家庭教師と単発の講演講師でまるで霞を食べて生きているような生活だったと思います。(稼ぐより使う方が多い生活)そんな生活の中父進が6月22日に真っ直ぐに歩いているつもりが真っ直ぐに歩けなくて当時の関ヶ原病院(今は診療所です。)に緊急入院となり、8月11日の日に初めて父進の付き添いをするために病院に泊まる事になり翌朝の7時20分に父進は息を引き取りました。何も私が初めて父進の付き添いをした日に息を引き取らなくても良いと思うのですが考えようによっては、体が弱かった私が付き添いをするまでになってくれたのかと思い安心した為かフッと息を引き取ったのかも知れません。あれから30年。今は180人の職員を抱えた社会福祉法人理事長をさせて頂いているのですが、父進の底抜けの愛情と包容力と忍耐力があったからの今だと長男夫婦とその息子(私の孫の翔)と春子お姉さま夫婦が集合しての法要に際して痛切に思っています。法要が終わってからは久しぶりに孫の翔と一緒にお風呂に入り改めて成長している姿が嬉しかったです。『子どもは神童』とはよく言われますが翔も正にそのように感じました。だって、床の間に置いてある私が頂いた厚生労働大臣表彰の額の中に私の『若山宏』の名前を見つけて『わかやまひろし』と読むし、私の歳が68歳と教えると「ばあちゃんといくつ違うの」と聞いてきたので「5つ違うよ」と言うと「あばあちゃんは63歳か」と答えたのには感心してしまいました。7人も寄ってお参りをしてその後夕食を共にしての賑やかさは写真になった父進も母秋江も姉光子も養母英子もきっと喜んでいると思うのですがリピーターの皆さんはどのように思われますか。