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May 30, 2022

正に『民俗学』第2段

令和4年5月30日

週刊現代5月28日号で、シリーズ「あの街角を覚えている世田谷」で昭和28年~49年の写真が特集記事で掲載されていた第2段です。第2段の初めの写真は、昭和40年代の『豪徳寺』(知らない地名ですが)「綿菓子製造機に子供達も興味津々」と紹介して「豪徳寺駅の北に位置する山下商店街の1コマ。子供達へのサービスとして無料で綿菓子を提供していた」との写真を見て、「我が施設には今でも同じような綿菓子機があるな。」と思うと共に、「我が施設は東京の50年前を再現しているのか。」とも思った次第です。(当施設は昭和の古き良き時代を再現する事により一日を楽しく過ごして頂きたいのです。)

次の写真は「淡島通りへ出向く八百屋の主人。小回り性能の高い三菱自動車は細い路地を走るのに適していた。」とのコメントに私は「東京でオート三輪車とはイメージ出来ない。(ミスマッチ)」今では関ヶ原でもオート三輪車は見かけない。どの位前かは定かではないけど材木屋さんは結構最近まで使っていたし、山の奥の方ではナンバープレートを外したのが(車検を受けずに公道でない所で使用している。)動いていたりしていたな。と考えていました。

次の写真では、女の子がみんな『おかっぱ頭』だったのを見て、「そう言えば私が小学生の頃は殆どの女の子が、おかっぱ頭だったし、男の子はぼっちゃん仮りだったな。」と思いました。(ここまで書いた段階で、本日は大垣市民病院の精密検査があり、朝6時過ぎに朝食を食べ7時には我が家を出発して今は9時6分で、特殊な注射を打って頂き3時間後の検査の為に待ち合いで待っていて、コラムの続きを打とうと考えたのですが、週刊現代を持って来なかったので続きを書けないけど時間が勿体ないので話題を変えて書くことにします。)

8時前に大垣市民病院に着いたので正面玄関の駐車場に入れる事が出来ました。(私が駐車場から病院内に入る時には満車の案内がしてありました。受付は診察券を入れると『パスポート』なる用紙が出てきて終了なのですが、本日は3台ある機械の前にそれぞれ10人位づつ並んでいたので「時間帯によって状況は違うものだ。」と思った次第です。パスポートの用紙を持って受け付けに行くと「先生の問診がありますのでお名前をお呼びするまで待ち合いでお待ちください。」と言われたので待ち合いに行くとまだ、待ち合いは空いていたのですがしばらくすると一杯になりました。

しばらくすると名前を呼ばれて中待ち合いに行くと先生に呼ばれて「体調に変わりありませんか。」と聞かれて「大丈夫です。」と答えると検査に行く場所を丁寧に教えて頂きました。先生に教えて頂いた通りに行くと、そこでの受け付けを済ませると注射をして頂いたのですが「3時間後の検査ですので、CTの検査を終えてから11時40分には再びこちらに来て下さいと言われ、今は(午前10時26分)はたっぷりと時間があるので飲食が出来る所でコラムを打ちながら麦茶を飲み、柿の種を食べながらの状態です。こんなにゆったりとした気持ちでコラムを打てるのは検査をしなければいけない状況だからだと思うと複雑な気持ちになりますが、医療の進歩の中では『がん』など恐れる必要がない。それよりも色んな障害によるストレスの方が恐いと思っています。

『柿の種』の袋に『こばなしのたね』と言うのがあり、『コオロギの耳は前足についている』と書いてありました。リピーターの皆さん。どうでもよい話ですがこんな話題でもコラムにしてしまう私は『凄い』と思いませんか。(自分で言うのはどうかと自分でも思った次第ですが「まっいいか。」