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Apr 26, 2022

正信偈の一行に『煩悩障眼すい不見』があります

令和4年4月26日

『ぼんのうしょうげんすいふけん』と唱えるのですが、『すい』の字がガラケーの携帯では出て来ないので解体をして説明しますと《ひだりの上に『口』下に『虫』で右は進むのしんにょうが無い字です。(説明が下手でスミマセン。そうなんです、私は『教養』が少なくて・・・。いやいやここでは『知識』が正解でしょと一人で『ボケ』と『ツッコミ』をやってます。『すい』の意味が私にはわからないので全体の意味が正確にはわからないのですが、リピーターの皆さんの中でお分かりの方があれば是非とも教えて下さい。私の今までの生き方は『わからなければ誰かに聞く。教えて頂く』と言うスタンスでしたし、これからもその生き方を変えるつもりはありません。

確かに今はパソコンやスマホで直ぐに情報は手に入る時代ではありますが、パソコンやスマホの答えは平板でインパクトがないので、その場では理解したつもりでいても自分のものとしての知識になることが少ないように思えて仕方がないのです。リピーターの皆さんの中には「わからなかったらまたパソコンやスマホで調べれば何も問題ない。」と思われる方もおみえになると思います。しかしながら私は『泥臭く』いきたいのです。全国老人福祉施設協議会の平石会長の言い方だと「若山さんは昭和の男と言うよりは明治の男だね。」と言われているのですが・・・。しかしながら『明治の男』とはどんな感じなんでしょうかね。お互いの情報はスマホのラインで済ませてしまうのはあまりにも味気無いと思うのですが。

そう言えば私が40歳の頃(ほぼ30年前ですが)、ある名古屋市内の女子短大で非常勤講師をしていた時でさえ直ぐ前の席にいるお友だちに携帯を使って(その頃は当然ながらガラケーの携帯ですが)メールで挨拶のやり取りをしているのを見て「おいおい」と思ったものですから「やっぱり明治の男ですかね。」しかしながら泥臭く生きていないとコミュニケーション能力は育たないし劣化するのではないかと私は一人で嘆いています。

ガラッと話題を変えます。私は1月の後半から事業が上手くいって無いことで、心身のバランスがおかしくなり、しっかりと眠れず寝たと思ったら寝汗をかき、4時過ぎには起きて2時間は仏間に籠り一心不乱に祈る毎日で、我が家にたくさん頂き物の蝋燭や線香があったのですが蝋燭は完全になくなり地元のドラッグストアで購入して、或いは私のコラムを見てわざわざ送って下さったのも残り少なくなりました。本日は14時から和合の施設で全体会があり、その帰りに行き付けの仏壇屋で購入するつもりで本部施設の19時からの全体会には時間があったので大回りをしたのですが、定休日で購入出来ませんでした。「今日が定休日で買えなかったのにはわけがあるはずだ。」と考えました。その結論は「私の思いを形にするにはリピーターの皆さんの協力を得なさい。」と言う事ではないかとの結論に達しました。

察しの良いリピーターの方ならお分かりかと思いますが「リピーターの方の中で家であまっている蝋燭や線香があれば送って下さい。そして私の思いを共に形にするのを協力して下さい。虫の良い話ですがリピーターの皆さん私はマジですので宜しくお願い致します。