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Jul 17, 2020

法人設立記念日に思う事

一言で『杉和会23周年記念日』と簡単に片付けられるようなものではないので、記念すべき日の今日から何回かシリーズで熱く語ります。

先ずは「今があるのは苦難をものともせずはね除けながらの23年」と思っています。他の方からみると『順風満帆』の歴史のように思われる方も、或いは、『幸運に恵まれた』等と思われる方もあるかも知れませんが、決してそのようなものではないし、事業を起こされ歴史を重ねられる方は誰もが大変な思いをされているのは当然な事だと思います。

大体、設立に至る経過からして波乱に満ちたものだったので、本日はPART①として、設立に至る経過について語ります。

私が児童養護施設の指導員をした13年で『カリスマ的指導員』であった事は何度も語り35歳の時に資生堂海外研修団としてアメリカに行かさせて頂いた事も既に何度か語りました。それは、私の人生を大きく変えた出来事であったと言っても過言ではない出来事でした。どう言う事かと言えば、海外研修を終えて考えた事は『私でなければ出来ない事がしたい。先ずは個別指導が私の生きる道』と考えて、児童施設を辞し「何かをしなければ」と形が固まる前に無謀とも言える決断をして、所属していた児童施設に迷惑がかからないように、3年かけて児童施設を辞めさせて頂きました。38歳で子ども2人と奥さんの3人を養わねばいけないにも関わらずに・・・。

38歳でいわゆるフリーランスのような立場になった瞬間に理解したのはサラリーマンとは違い自分で頑張って努力し稼がなければいけない現実でした。私はそんな当たり前の事すら理解していなかったのです。当初は大垣女子短大の非常勤講師を週に4コマと『教育福祉カウンセラー』と言う肩書きであちこちの施設にスーパーバイザーとしてスポットで行ったり、講演活動をしながら、不登校児やいわゆる問題行動のある子の対応やパニックになっている親の相談に乘ったりしました。

その中から得た答えは全く生活が出来る程の収入が得られないと言う事でした。今から考えれば当然の結果なのですが・・・。これは、動きながらの展開しかしてこなかった結果です。(5年先、10年先を見通しての展開をするようになったのは、平成18年8月から全国老施協の役員になり中村会長の教えを受けてからだと思います。)

1年間の展開から学んだ事は『拠点がなければ色々な展開は出来ない。』と言う事で、2年目からは『情緒障害児短期治療施設』の建設の為にうごめきました。親戚の方で、松尾山の麓に広大な土地を持っている方が無償で土地の提供をして頂く約束を取り付け情緒障害児短期施設に行って(主に愛知県の施設)色々な事を学ぶと共に計画を練りパーツまで作って貰い、その当時厚労省児童家庭局育成課の専門官に岐阜出身の方がみえ、かなり応援して頂いたので、これで行けたのであれば文字通り順風満帆といえるのですが、その当時の岐阜県児童家庭科に行くと「若山さんの熱意はわかるがここ10年は高齢者の予算しかない。児童の施設は予算がない。」で思いっきり挫折しました。

リピーターの皆さん。私は挫折する度に成長してきた内容を明日以降も書きますので飽きずに見て下さい。

※夕食も食べれない一日で岐阜県のコロナ対策会議がふれあい会館で終了したのは20時20分で、今(21時49分)はお風呂でコラムが 終了するのですが、お腹ペコペコですがこのまま寝ます。痩せてまうけど忍忍です。