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Jul 20, 2020

法人設立記念PART④

令和2年7月20日

昨日のコラムでお伝えしたように8月8日に難産の末に何とかゼネコンは大日本土木に決まり、早速打ち合わせと同時に施設の道を隔てた向かいの空地を借りて建設事務所があっと言う間に建ち、今の家族会の会長さんの倉庫内の事務所から引っ越しました。但し日程的にはお盆休みが終了してから本格的に作業が始まりました。私は初めての経験なので毎日毎日現場を見るのですが、作業開始当初は土を掘り起こすばかりで「これで大丈夫なのか」と心配になりました。杭打ちが始まっても長い杭が簡単に土の中に吸い込まれるように入っていくのは驚きでした。また、土を掘り起こしている時に大きな木が出てきた時には驚きと戸惑いがありました。その時は地元説明会でバシッと発言して下さった長老の方が「伊勢湾台風の時に流されてきたものだと思う。この辺も谷が多いので『一時水』には気をつけないといかん」と毎日現場を見に来て頂いていたので教えて頂きました。(現在は南側斜面と施設奥に谷水が集中する所に50メートルもの立派な砂防ダムを岐阜県事業で作って頂いてます)その後も一生懸命に作業をして貰っていたのですが、忘れもしません。あれはその年の12月1日に一気に雪が40㎝程ドーンと降ったのです。そしてその時には屋根も出来てない状態でした。その時の大日本土木の監督が濱川さんで助監督が細川さん。濱川さんは冷静沈着な方で細川さんは血気盛んと言う感じの方でお互いに役割をよく理解されていたと今でも思います。その時の対応はその日のうちに強力な温風ヒーターをたくさんレンタルされ、フル稼働で熱風を吹き出し6時間毎に給油をしなければいけないので下請けの責任者の方が順番に寝ずの番で給油をされていて、助監督が重機を使って必死に雪を建物外に出される作業をされていたのを今でも鮮明に覚えています。そして、3日で雪を克服し、次に監督さんがされたのは職人の数を倍増された事です。このような対応はしっかりした会社の証しだとその時痛切に感じました。但し、不思議な事にその年は12月1日にドサッと降ってからはちらつく程度で作業を遅らせる事がなかったので、私は今でもこの工事が速やかに行く為に『神風』ならぬ『神雪』だったのではないかと思っています。23年も前の事だから今では笑って言える事なのですが、その当時の岐阜県の終了検査が平成10年3月30日に実施されました。但し、その時は正直、まだ天井部分が出来ておらず、配管等が見えている状態だったのですが、担当者の方が「いつ事業開始の予定ですか」と聞かれたので私は即座に「5月15日に竣工式をさせて頂き、16日と17日の2日間を内覧会にして18日から事業開始をします。」と涼しい顔で答えていましたが、この事は大日本土木の監督さんにも伝えていない話だったのです。だって私自身検査日の朝、カレンダーで日がらを見て決めた事なんですから。監督の濱川さんからは「5月15日にされたのはどういう根拠ですか」と真剣に聞かれたのに対して私は「5月16日が私の誕生日なのでその前夜祭として、竣工式をやりたいの」とけろっとした顔で答えたのを今でもはっきりと覚えています。それからの1ヶ月半は文字通りバタバタで、竣工式前夜は備品関係の搬入に荷物を円滑に搬入したい業者さん同士で陣地取りをされていさかいが起きた時には仲裁に入る事も度々でした。結局竣工式には玄関前の舗装が間に合わなくて砂利を敷いて急場を凌いだのも今では笑えるような出来事となっています。リピーターの皆さんこんな調子で本館が出来たのですが、何をやってもはらはらドキドキの展開ですが『事実は小説よりも奇なり』です。本日は色々あって今(午後10時21分)ですが、頑張っているヒロシ君に拍手・・・