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Jul 16, 2019

祇園祭りの『ちまき』のニュースに思う事

祇園祭りで『ちまき』に似せたもの(本物のちまきなら一年間飾ることは不可能だと思うので、敢えて『らしきもの』と言わせて貰いました。)を縁起物として買う慣習をテレビのニュースで報道していました。そのニュースの中で、購入するのに数の制限はなく、16時まで販売している。との報道の後600円から1000円で売られているものをインターネットで3000円前後での販売提示がされているのに対して物議を醸しているとの事でした。インターネットオークションで買う人があるからの行為なのですが、その事に対して私なりの考えを述べます。確かにインターネットオークションで買った人も、祇園祭りで必死な思いで買った人も玄関先に飾ると言う行為は表面的には同じでも、わざわざ京都の祇園祭りに行って購入した人の思いなり祈りの気持ちには計り知れない違いがあると思います。その事と対比するのは全く違うのですが、四国八十八ヶ所で歩き団参をしている時に八十八ヶ所のお軸の判を頂くのを車で何十本と持ち込んでいる方をみかけます。恐らくそのお軸は販売目的だと思うのですが、一歩一歩歩いて判を頂かれた方の思いとは雲泥の差があると思います。確かに歩く事が難しい方が、バスやタクシーを使われてでもお参りされることを否定するものではありません。但し、自分の足で歩き一番一番札所を訪れ朱印を押して頂いたのは一番一番の思い入れがあり、床の間に同じように飾ってあっても意味合いが全く違うと思うのです。私は八十八番の中でも十一番の藤井寺から十二番の焼山寺の山越えが一番好きです。歩いているときはもう一山向こうまで歩かなあかん。めちゃめちゃしんどいな等と考えていても、焼山寺の山門が見えてくると足が軽やかになり元気になるのは何回歩いても同じ。こんな時自分の力だけで歩いたのと違うなと言う感慨深いものは歩いた者にしか味わえない感覚。「もう歩けない」と思いながら歩いていると自分のいたならなかった事が頭にもたげ、『これぞ懺悔』と思う瞬間。でも、日常生活では味わえない事だからこそ価値のあること。ちまき一つの題材でいろいろな事を書きましたが、結局のところ単なる仕事としてする事と思いを持ってするのでは全く違うと言う事が言いたかったのです。リピーターの皆さんこれからも誠心誠意の頑張りでやるべき事をしていきますので多大なるご支援を宜しくお願いいたします。