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Apr 24, 2021

私は体験型の人間で苦労を背負う生き方しか出来んのです

令和3年4月24日

昨夜一晩試行錯誤した結論は、表題の通り『私の生き方はつくづく苦労を背負う生き方や』と言う事です。何の事かと言うと、昨日13時から古田岐阜県知事と知事室での面談をさせて頂き得た結論です。そして、私の生き方を走馬灯のように巡ってみましたので、何度もコラムに出てきた事も含めて書きますのでリピーターの皆さん宜しくお願いいします。

先ずは何と言っても生まれた時の私は『虚弱』だった事です。殆どの新生児は元気に産まれすくすく育つのに、私の場合は違ったのです。でも、良~く考えてみると、『虚弱』だったからこそ異常なまでの母秋江さんの愛情を注いで貰う幼少期であったと思うのです。そして、何より母秋江さんの『息子の為に何が出来るか』との考え方が私の生き方に大きく影響していると思っています。

そんな私には、多くの出会いがありその都度『相手の身になって』を実践してきました。そんな私が38歳の時に児童養護施設の指導員を辞し、フリーでの仕事を決断した時には『若山家の生活』等と言う事は全く考えもしないでのもので、がむしゃらにうごめく中からの展開でした。当然の事ですが収入は激減する中で、数え上げたらきりがない程の方々に手を差し伸べて頂きながら、ぎりぎりの段階での事業展開です。

児童施設を辞して直ぐに吉田宏岳先生が中心になっての『教育と福祉を考える会』への参加は「訳も分からず」のものでしたが、「私が出来る事をしっかりとやらせて頂こう」のスタンスでの活動を評価されたのか結果的には大垣女子短大非常勤講師2コマだけだったのが徐々に紹介して頂き13コマまで増えました。また、問題を抱えた親子の対応をする為に『教育福祉カウンセラー』と言う名刺を持っての展開の中で、その当時大垣商工会会頭だった河合達雄さんのお孫さんの家庭教師を紹介して頂き、結果的には法人設立に対して多くの支援を頂きました。(結果的には河合達雄さんのお孫さん5人の家庭教師をさせ頂きました。)

『平成8年~9年にかけて今須小学校のPTA会長(1年目は関ケ原町連会長で2年目は岐阜県福会長)をさせて頂いた時のネットワークは今でも繋がりが強く色んな場面で協力して頂いています。本部本館施設を計画する時にもお金が無い、土地が無いの文字通り「ないない尽くし」の中であったにも関わらず、建設候補地の土地取得の交渉を忙しさと身内の協力に甘えた対応をした事によって、地元の方の反対に合い暗礁に乗り上げました。その時には「人任せの怖さ」を身に染みて体験して、1軒1軒何度も地主さんの所(7軒)に足を運びました。その当時は国及び県の補助金が手厚かったとは言え、資金確保も厳しいものがあったにも関わらず安易に考えていて目の色を変えるまでにはかなり時間がかかったように思います。

私は楽天主義なのかも知れません。とことん『尻に火が点く状態になってから念じて阿修羅のような動きをしてしまうのです。「たら」「ねば」と言う出来事は数限りなくありますがその点については学習しないのです。今回の古田知事との懇談でも痛切に感じたのは、「厳しい状態になっての陳情では意味がない」と言う事です。しかしながら、古田知事にも私の一生懸命さはご理解ねがったので、今後の展開に於いては必ずや生かされると思っています。『熱い思いだけでは解決しない』事を理解した上で、敢えてリピーターの皆さん。視覚障害者の方の安らぎの場の提供に賛同して頂けるのであれば、1口5000円以上のご寄付を宜しくお願いします。

 

(追記①)

本日1時30分から本館1階、2階の⒉フロアでお経さんをあげて導師を勤めさせて頂き思いっ切り声を出してカラオケが準備してあったので1階では『影法師』を歌い「声が響かんな」と思いつつも頑張ったのですが、2階で歌わせて貰おうとして響かない理由がわかりました。その理由とはマイクが入らないのです。伊藤主任が「小話をして時間を稼いで下さい。」と言うので、座布団を持って投げながら「布団が吹っ飛んだ」のギャグを思いつくままにやったのですが、あまりにも受けないので結局4回のしてしまい、マイクの調子は直らなかったので地声で『酒と泪と男と女』と『夢芝居』を歌いました。本館のカラオケの機械はかなり長く使って修理も出来ないので新しい機械の契約をしたので、機械がいじけてしまったのかも・・・。

 

(追記②)

213(兄さん)896(やー苦労)最初の数字はあさのウォーキングマシンでの距離が213(2.13キロ)896(消費量)なのですが、私は意外にもゲン担ぎをするのです。兄さんとは厚かましいかも知れませんが『やー苦労』はいまの状況そのものですかね。