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Dec 21, 2020

車の運転が出来なくなって

令和2年12月21日

12月8日の18時から岐阜県庁4階大会議室で古田知事、平木副知事の参加を得てのコロナ対策会議が開催され、目が見にくい状況はありましたが、自分で運転をしていったのですが、対向車のセンターライン寄りのライトが消えたように見えて滅茶苦茶怖くて「慎重にしんちょうに」運転して、岐阜県庁で右折する大きな交差点では、右折の矢印が出ているのか出ていないのかの判断が出来なくて、後続車に思いっきりクラクションを鳴らされてから、何とか右折して県庁の駐車場に車を停めて会議中はしっかり意見を言わせて頂いて、会議終了後色々な方にご挨拶をして、再び駐車場に行き車のハンドルを持った時には、県庁交差点で右折した時の恐怖が頭に浮かんできたのですが、「とにかく、ゆっくりとではあっても、家にたどり着かなければ」と腹をくくり運転しました。

とろとろと走っていたので私の車を馬鹿にしたような車が何台かいましたが「ここは忍・忍」。家の車庫に入れた時は安堵のあまりどっと疲れが出たのを覚えています。(本日も和合で全体会があり送り迎えを和合の事務長にして貰いました。)だから翌日からは車の運転を一切しなくて、送り迎えをして貰っています。車を運転しなくなって10日以上が経過してつくづく思う事を今日のコラムの題材にします。(あいからわず前置きが長くてご免なさい。)高齢ドライバーが車の免許証を返上する話をよく耳にするようになりました。しかしながら、高齢者の方の立場とその家族の方の思いが違う事があります。

つまり、高齢者の方は「まだまだ自分で運転して色々な活動がしたい。」と思われているのに対して、家族の方は「運転をして事故を起こしたら迷惑がかかるから止めて欲しい。」と考えられています。どちらも正論です。しかしながら私は高齢ドライバーの立場に立って思う事があります。それは、「免許を返上したら、自分で行きたい所に行けなくなるとやりたいことが出来なくなり、行動範囲が狭くなりボケてしまったら若いものに余計に迷惑をかけてしまうのではないか」と言う事。若い家族の方は「自分の生活が出来なくなる」と思っている事です。

そんな状況に対して私が思うのは、行きたい所全てを叶える事が出来なくても必要だと思える所へは運転してあげる事によって、生き甲斐を見つけて貰えると思うし、何より元気でいて貰えると思います。私の父進は私が38歳の時に80歳で他界する2ヶ月前までは関ヶ原歴史民俗資料館に通っていましたし、大垣市民病院への受診は私が運転していきましたが、そんな時の父進は嬉しそうでしたよ。勿論私は人の何倍も父進さんに迷惑をかけているので当然かも知れませんが・・・。

私の場合は今は目が見にくくても、仕事の上で必要とされているからこその送り迎えなのかも知れません。と言う事はリピーターの皆さん。私はいつまでも必要な存在であり続けなければいけないと言う事ですか。疲れる生き方かも知れませんがこれからも頑張りますので宜しくお願いします。蛇足的ですが、必要とされない方なんて本当はいないのだと考えていますが・・・。