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Jun 18, 2009

雑感パート2(普通では経験できない小さい頃の話)

前回の雑感で体が弱かったことは書きましたが、今回はどれほど弱かったかを具体的に書きます。私が生まれた頃私の家から200メーターも離れていない所に診療所があって本多先生と言う女医さんが見えました。すぐに高熱を出す私が小学校入学前に、学校へ行くのを一年遅らせたらどうかと言う話もあったそうです。母親はそんな事は忍びないと言って通常通り入学しました。その当時の母親は、学校に疾風を巻き起こしてばかりだったようです。例えば入学早々に遠足があったのですが、自分の息子の体力を信じられない母親は近所の同級生の母親を付き従えて、遠足本体の後ろからリヤカーを引いてついてきたり、冬のシーズンになると私の手と足はしもやけの為に手は肘のあたりまで、足は膝のあたりまでボンボンに腫れて、歩く事も鉛筆を持つ事も出来ない状態だったのを今でも覚えています。そんな私の為に母親は、その当時あっただるまストーブの柵を全学年に寄付をし、その代わりに息子である私の教室での席をだるまストーブの真ん前にするようにし、尚且つ、豆炭アンカに足が入るような袋を作り、それも学校へ持って行って良い許可までとりつけて、靴も足がボンボンで履けない私を中学に通っていた姉におんぶさせて登校する許可まで取り付けたのです。当時の私は何の疑問も持たず学校に行き、目の前の真っ赤に燃えているだるまストーブと豆炭アンカで熱くて熱くて、一日中ぼーっとしていて何の勉強をしているかもわからない状態で…。でも今母親の思いを図りしろうとするなら、多分カラダの弱い息子の為に母親ができることは何かと言う事を一生懸命考え行動に移したのだと思います。
今、介護の仕事に携わらせていただいているわけですが入居者さん利用者さんに対して何をして差し上げたら良いのかを考える方向性を母親が示してくれたのだと思うと、小さい頃体が弱かったのも今の自分を作り上げるのにも必要な期間だったのかも知れないと思います。
人生に無駄なし、全ての出来事に感謝!! 少し格好良すぎかな!?