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Jun 6, 2021

静慈彰さん(静慈圓大僧正の次男)に対する私の本心

慈彰さんは私が絶対に出来ない事を自分の責任の中で『大変な事を大変と思わず』に実践されている事には敬意を表したい。一昨日にお会いして親しく話をさせて頂いた時に正直に言うと「めちゃくちゃ器用な方だけど生き方は不器用な方だ」と思った次第です。例えば、廊下に大きな錦鯉が描かれていて、それが生きている感がある素晴らしいものだったし、土壁にタイルの様な物を貼り付け(常識では土壁にタイルは貼れないと思うのですが)洋風なお洒落な仕上がりになっていたり。慈彰さんの中で色々な料理を器用に作られている事がわかったり。それでいて僧侶として瞑想会を主宰されたり、葬儀の仕事もしっかりこなされている。もっとも驚かされるのは非文明的な生活をされていながら、電気はソーラーで賄われているしスマホも駆使して情報を得られている。端的に表現するなら現代の異端児であり、とにかく普通ではない。いやいや、飛び抜けた異端児だと言える。『異端児』だと書きましたが慈彰さんは自らを「40歳になったんだし立派なおっさんだ。」と言われていたので『児』の表現は如何なものかとも思いましたが『異端児』の表現がぴったり何です。しかしながら慈彰さんが今の世の中でここまでの生活を可能にしているのは何故かと考えると私自身の生き方とダブらせるべきではないのですが、ここは敢えてダブらせて書かせて頂く事にします。私が今のような立場になったのは、父進さんが私の生き方を否定せず見守っていてくれたから、今から考えると私の知らないところで色々な根回しや資金援助をして頂いて今があると思っています。慈彰さんはも一人で頑張っているようでいて、父である静慈圓大僧正の存在は大きいと思うし、その他の知縁や血縁の理解と協力無くしては決してなし得ないと思います。今が、再興されようとされている東副寺にしても慈彰さんの祖父が住職をされていたわけだし。もちろん私は慈彰さんに「全てを断ち切ってなさなければ」等と言う積もりもないし、「何を甘えながらやっているの」等と言うつもりも有りません。お釈迦様だって王さまになれる家柄であったにも関わらず苦難の道を歩まれた。と言うことは慈彰さんは現代のお釈迦様❓いやいや今の段階で決めつける事は出来ませんが何年か先にはとんでもない方になっているかも知れないし、寺に引きこもったままかも知れないし。とにかく規格外の生き方であることは間違いないのでリピーターの皆さん共々見守って行きたいと思います。。

《別記》本日の午前中にかつての入居者さんの家族の方から連絡を頂き『梅』の収穫をしました。今年はなり年だったのでしょう。私でもバケツ2杯をとれました。結局、梅干し用の梅が48キロ、シロップ用の梅が16キロ。夏バテ防止のシロップが確保出来た事に感謝です。小さい頃の私がバケツ2杯もとったら母秋江さんはなんて言うかな・・・。