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Apr 14, 2021

4月4日から歩きを再開して11日目での変化したお話です

令和3年4月14日

まだまだ、体重に変化はありませんが、今朝も5時に起きて、着替えと靴下、タオル、ペットボトルの水を持ち1階に降りて、先ずは洗面とうがいをしてから、仏壇に蝋燭と線香を灯し5時20分からウォーキングマシンに乗り、マシンのスイッチが下の所についているので膝を曲げてオンにするのですが、今まではこの行為に苦労していきなり息が荒くなっていたのですが、本日はそれほど苦にならない。(私的には凄い事なのであります。)そして歩きだしました。

最初の1分はウォーミングアップの為にゆっくりと歩きながら父進さん、母秋江さん、姉光子さん、養母英子さんの写真に挨拶。その後3・9キロに設定して『しょうしんげ』を唱えだして10分も歩いていると既に背中を汗が流れているのがわかり、私はニンマリしながら「活性化している。」と感じました。『しょうしんげ』と『お文さん』を唱えた時に、最初の頃は「もう限界」と顎があがっていたのですが、本日などは余裕でマシンを止めて汗をタオルで拭いながら、ペットボトルの水を飲んで再び歩きだし、般若心経を唱えて、30分が苦にならなくなりました。その時にふと記憶が甦ってきました。

それは、大学時代の夏休みに滋賀信行会主催の夏の団参に参加して、本部がある長浜まで帰り、お礼のお参りがあり、それぞれの支部(私の場合は山東支部で柏原にあります。)まで行き再びお参りがあり解散になり、迎えの車が何らかの理由で来なくて、私一人の為にお世話をして頂いている方が帰る事が出来ないので「これはご迷惑をかけてはいけない。」と考えて、「家まで歩いても大丈夫ですから」と言って山東支部を出て4キロ以上はあったのですが、飛ぶように帰った事を思い出したのです。確かにあの頃の体重は50キロ位で痩せていて身が軽かった事も事実ですか、平坦な道なら一日30キロ位を歩く修行だったわけで、4キロ位は『グリコのおまけ』(懐かしい表現でリピーターさんの中には「何のこっちゃ」と思われる方もおありかも知れません。)位の感覚だったように思います。

本日このようなコラムになったのは、本日から盲養護老人ホーム和(なごみ)の職員さんが3人づつ(日によって4人の時もあります)実践研修に来ているのですが、初日と言う事もあり、理事長である私から①記憶は忘れる事もあるがメモ等を確認する事によって記憶が甦るもの。だからしっかりメモをとるように②気付きの多い職員であり、その気付きを最大限生かして欲しい。と熱く語りました。と言う事で本日はこのようなコラムになった次第です。

『和』の職員の指導の後はばたばたで新規事業の伐採の状況確認に行き、その足で県議会議員の所へ陳情に行き、昼食は車での移動中におにぎりとパンで済ませて、施設に帰ってからは、コロナ感染対策の一貫によるPCR検査の打ち合わせや和合の佐藤施設長さんとの打ち合わせが待ってます。その間に時間を作って、本日から実践研修に来ている職員の成果を確認する為の話もしたいと考えています。このように携帯でコラムを打ちながらつくづく思うのは『時間はつくるもの』だと言うことです。きっと私の生き方の中で「今日は何をして時間を潰そうか」等と考える事もなく生きていけるのは最高な生き方だと、リピーターの皆さんも思われませんか。