所在地マップ お問い合わせ よくある質問 在宅介護についての質問 個人情報保護方針 サイトマップ 
banner-mini
Nov 21, 2019

第76回全国老人福祉施設大会茨城大会2日目です

昨夜は19時から2会場に別れての交流会があり、メインのテーブルに座らせて頂き、お隣の席が内田議長さんで議長さんも冷酒がお好きと言う事で茨城自慢のお酒を二人でがんがん飲みました。20時前に別会場におみえになった平石会長と園田参議院議員が会場入りされたのでお二人のご挨拶を聞いてから、主だった方にお断りを入れてから、当施設の職員と埼玉県の2法人の職員が飲み会をしている会場へ移り、『光國』と言う冷酒をこれまた強か飲んでいると、私が大きな声で話をしているのを聞き付けて愛知県の役員が顔を見せてくれたり、21世紀委員会の渡辺委員長と服部副委員長が挨拶に来たりと、めっちゃ楽しいひとときで、22時前になってカラオケに行くとの事で『一時間だけ』と言う事で参加して私が一曲歌うと誰かが一曲を歌うようなどうしようもないわがままを通して一時間楽しみました。但し陽気になりながらも新しい事を知りました。

それは、ブロンの西川理事長は英語の曲はめっちゃ上手だと言う事を。『能ある鷹は・・・』なのか、あまり歌った事がない曲を私に合わせて歌われていたから・・・なのか。でもね。チコちゃんではなくヒロ君は言いたい。

「カラオケタイムはそれぞれが楽しむ時間。先日三流から二流に昇格したのに、遠慮は三流に戻ってしまう。いやいや、昨夜は上手な歌を披露されたのだから一流の仲間入りも間近と言う事か。いやいや、一流になるのはそんなに簡単ではないですよ。」

研修2日目は第一分科会『地域共生社会を支えるトータルケアの実践~ケアと地域をつなぐ~』に参加しました。その中で一番印象に残ったのは『ヤングケアラー』と言う方のお話でした。ヤングケアラーとは、色々な事情により小学生あるいは中学生でケアをしている子の事を言うんだと初めて知りました。演壇で話をしたのは中学生の頃から8年間祖母の世話をした体験を聞きました。

その時に私は38歳の時に養護施設の指導員を辞し、フリーの立場で不登校の子に学習指導をしていたことを思い出しました。両親は建設現場の下働きを日雇いの形でしていて、貰ったお金を持って夫婦でパチンコに行き夜遅くに帰ってくる生活でした。中1の男子が糖尿により目が見えなくなった祖母の面倒をみていて、時に両親がパチンコで早くにお金をすってしまい早くに家に帰ってきて、その子が両親の食事を作ってないと暴力を受ける事があったとの話を聞いたり、その頃外国の米が日本に安く入ってきた時代で「タイ米は安くて食べる事が出来る。」との話を聞いた事を思い出しました。

その頃にヤングケアラーと言う言葉があったかは定かでありませんが発表した若者も見るからに優しそうな雰囲気を醸していたので、優しさを逆手にとる大人はどの時代にもいるんだと思いました。ただ発表者の若者は時代の寵児になれるかも知れないと思いました。しかし、今の世知辛い時代でもヤングケアラーとして生き生きしているのには『驚き』でしかないな。

16時前に全ての研修が終了して水戸から常磐線に乗り品川に着き今は芝公園のメルパルクホテルにチェックインをして明日のメルパルクホールでの大臣表彰に備えて今夜はゆっくり寝ます。リピーターの皆さんや色々と関わりを持って頂いた方々のお陰ですので、表彰の報告は明日させて頂きます。