昨日ボランティア室の片付けをしていて、懐かしい映像をみつけました
令和3年8月30日
ボランティア室の片付けを時間を見つけてはしているのですが、(3日連続でしてますがまだまだです。)懐かしい中村会長(元参議院議院・全国老人福祉施設協議会会長)が出演されているDVDを見つけたので朝のウォーキングとお経を終えてお風呂に浸かり、朝食までに時間があったので改めて視聴しました。その番組とは、『小倉智昭のマッチメイク ニッポンがおかしい08 自民vs民主・・・生活を任せられるのはどっち!?国会議員大乱闘SP《介護編のみ》だったのですが、「2008年と言う事は13年前か」と懐かしさと共にどっと涙が出てきました。だって中村会長がめっちゃお元気で番組の中でいつもの事だったのですが顔を真っ赤にして大きな声を張り上げてみえたので・・・。その中で中村会長の発言に対して民主側から中村会長に対して「だったら中村さんがしたら良いじゃないですか。」との挑発的な投げ掛けに対して、中村会長は顔を真っ赤にして、しかしながら全く詫びれた素振りも見せずに「私が厚労大臣ならやりますよ」と言われたのを改めて聞いて「テレビで放映される事等全く意に介さずの堂々と言うより、2008年と言えば参議院議院一期目の議員としてはまだ4年目でようやく総務大臣政務官に就任されたばかりの頃で(私も中村会長が入られている政務官室の机に座って記念写真を撮った覚えがあります。)よくぞ「大臣だったら」と言われたものだと思いますが、その発言はマジに思われての発言だったと今も思います。そう言う意味では2期目を半分残した70歳ての急逝はあまりにも残念だし、道半ばであったので、私は今でも中村会長のあまりに急いでこの世をさられたのが悔しくてたまりません。ここで、中村会長の略歴を紹介しつつ、私なりの中村会長への思いを語りたいと思います。中村会長は1943年1月29日生まれ(徳島県)ですから私とは10歳しか違わないのです。徳島大学を卒業後高校の教諭になられた後、中川一郎代議士の秘書等をされて政治を志され衆議院選挙では落選の苦汁を舐められ、その後地元徳島に戻られ社会福祉法人を設立して保育園や特養等を県内隈無く作られ1997には全国デイサービス協議会の会長に1999年にはデイサービス協議会と老人福祉施設協議会を統合されて自ら会長に就任されたわけです。1999年と言う事は中村会長はその時はまだ55歳だったわけですから、まるで蒸気機関車のような勢いで事業を進められたのだと思います。会長になられてからは、厚生労働省の委員を歴任され2004年の参議院選挙の比例で当選されて、政治家としての夢を叶えられたのです。私は中村会長から「馬鹿じゃ、阿呆じゃ、とろくさい」と言われたながらも色んなことを教えて頂きました。それは、私自身が法人の理事長として5年先、10年先を見据えての考え方を持つことの重要性を。その最たるものは福祉・介護人材の確保育成の大切さです。そして、自分で決めた事はしっかりと相手に伝える大切さです。今もバリバリと議員をされていたら、今頃は厚生労働大臣としての活躍もあったのではないかと私は正直思っています。人生には『もしま』と言う事はありませんので、「中村会長が厚生労働大臣だったら」等と言う事はないのですが、リピーターの皆さん。私はこれからも中村会長の教えを守り頑張っていきますのでこれからも宜しくお願い致します。