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May 7, 2022

父進さんは生きていた時も死んでからも大変なのであります

令和4年5月7日

私の父進さんは明治最後の年に生まれていますので今、生きていれば110歳になるわけですが残念ながら満80歳で他界しました。息子の私から言うのも変ですが几帳面で律義で妻である秋江さん(私の生母)に絶対服従の生き方で苦労人の努力家だったと聞いています。私にとっての母秋江さんは絶対的に甘える事が出来る存在だったのです。リピーターの皆さんも既にご承知の通り母秋江さんは私が小学3年の頃から病院での入退院を繰り返す生活で残念ながら中学1年の時には他界していますので僅か13年の年月ですが『中身の濃~い、甘々な13年』だったと思います。このコラムのリピーターの一人である姉春子さんがこの記事を見たら「宏ばっかり良い思いをして、私は怒られてばっかり」と言う声が聞こえてきそうです。

父の生前のエピソードを紹介します。私が24歳で神戸北小学校の4年3組の担任をしていた時の事です。担任として初めての校内研究授業を6月に実施して頂き自分で言うのも変ですが『最悪の授業』をしてしまいました。当然のことながら校長先生以下全員の先生方から酷評されました。その当時の校長先生は県の研修センターから鳴り物入りで校長として赴任された方ですからそれはそれは大変でした。当然の事ながら私は落ち込みました。家に帰っても落ち込んでいる私を見て父進から「子どもに教えると言う事は大変な事なのに少し安易に考えていたな。お父さんがアドバイス位なら出来るので頑張りなさい。」と言われてからは真剣に教材作りをするようになりました。

先ず私は元々字が下手なのに板書も適当だった事を父進に話しをすると「板書はなかなか難しいものだけれど、宏はマジックだとそれなりの字が書けるのだから教材作りの一貫でビー紙にマジックで書いて行くと少しは余裕のある時間が持てるのではないか。」と言われて「なるほど」と言う事でその日から教材作りを真剣に実施して板書の準備もしっかりして行くようになりました。ただし、私は教材は作るのですが片付けなるものは全く出来なくて・・・。でも大丈夫なのです。朝出掛ける時にはあらあら不思議。綺麗に片付いていて、直ぐに出掛けるようになっているのです・‥。

こんな生活に甘んじていた私なのですがその頃の私は何の疑問も持たなかったのですからどうしようもない息子だったと思います。もしも立場が逆だったら今の私ならきっとカッカとしてしまうと思います。但し、毎日取り敢えず父のアドバイス通り、しっかりとした授業が出来るようになり、10月に実施して頂いた西濃教育事務所の方がみえての研究事業では高い評価を受けた時に『成功体験』をするには地道な努力が必要だと身を持って知った次第です。(今から思うと『片付け』も出来て一人前何だと言う事は児童養護施設の指導員になって初めて理解したのですから今考えるととんでもない若者(馬鹿者)だったと思いますが、「甘えさせる環境がそうさせた。」等と居直る考え方も頭の片隅にはある私なのであります・・・。

父が苦労人の努力家だったと言う話は次回にしますが、今朝のお参りで父進に対して「困っているので何とかして」と話をしてから、母秋江、姉光子、養母英子の3人には「進さんの尻を叩いて頑張らせて」とのお願いをしている私なのであります。正に死んでからも大変な状況にある父進さんにリピーターの皆さんから拍手をお願いします。(なんのこっちゃ)X